教育福島0205号(1997年(H09)09月)-027page

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

ぐ磐女のように満開となる桜の花を期待していた。というのは、磐女時代は満開となる桜の花を見て新たな気持ちに切り換えていたからである。ところが、冬の間に餌不足となった鳥たちによって花となる芽が大部分食べられてしまい、貧弱な花しか見ることはできなかった。拍子抜けすると同時に一抹の寂しさを感じた。

そのような中で新学期が始まり何回か授業に行くうちに本校の職員・生徒にしか享受できないすばらしさを発見した。それは日々違った姿を見せる太平洋である。本校の校舎は高台の傾斜地に建てられており、好天のときには穏やかな波間に港に出入りする漁船や沖を航行する大型船を浮かべる姿を、天気の悪いときには鉛色の雲や海が間近にせまって来て重苦しさを感じさせ好天のときには見せない姿を我々の前に現わす。

ところで、昨年、本校の近くにいわき海浜自然の家がオープンし宿泊訓練や各種合宿で多くの児童・生徒の皆さんが四倉を訪れるようになった。また、今年の十月には磐越自動車道の全線開通が予定され、八月には沿線市町村住民の親睦を深めるイベントも本校などを会場に開催された。常磐自動車道の四倉までの延伸工事も急ピッチで進められまもなく開通の予定である。そうなると県内はもちろんのこと県外からも多くの人たちが四倉までやってくるものと思われる。このように多くの人たちが四倉までやってきて我々が毎日眼にしている豊かな自然を満喫してもらうことは非常にうれしいことである。

しかし、その反面一抹の不安が頭をよぎるのは私だけだろうか。私が現在住んでいる近くの工業団地に廃プラスチック発電所の建設計画があることを住民の知るところとなり、現在この計画に反対する運動が行われ、私の家の近くの道端にも反対の看板がたてられている。交通網が整備されたのちにこの豊かな自然をいかに維持するかも我々の大きな使命である。

本校では毎年海水浴シーズン直前にあたる六月に市が中心となって実施する「いわきの町をきれいにする市民総ぐるみ運動」に一年生を中心に参加し、近くの四倉海水浴場の清掃作業を行っている。このような活動が訪れる人たちを暖かく迎え、同時に郷土を愛する気持ちを育むこととなり、ついには、少子化に伴って地元に残る生徒が多数を占める昨今では住みよい町づくりの人材の育成にもつながるものと思われる。

(県立四倉高等学校教諭)

 

オルゴールたちとの出会い

八木沼智恵子

 

、百数十年の時を越えて、当時の精巧な音色を私たちに奏でてくれたのである。

 

まるでオーケストラの演奏を聴いているような、そんな思いにとらわれ、その場から離れがたかった思い出がある。それは、松島のオルゴール博物館を訪ねた時の事である。世界各地から集められた数々のオルゴールが所狭しと陳列されており、それぞれのオルゴールは、百数十年の時を越えて、当時の精巧な音色を私たちに奏でてくれたのである。

「オルゴール」とは日本独特の呼び名で、英語では「ミュージックボックス」と呼ばれており、江戸時代にオランダ人によって紹介されたのが始まりらしい。その起源は自動的に鳴るように工夫された十四世紀ころのベルギーやオランダの教会の鐘にあったと言われている。シリンダー式オルゴールが製作され、さらにはディスク式オルゴールがドイツを中心に開発され、一台の機械によって何曲でも演奏を楽しむことができるようになったのである。

会場で最も目をひいたのは、一九二〇年にベルギーで製作された世界最大の高さ七メートル、幅九メートルの壁一面に設置された「コンサートオルガン」という名前のオルゴールである。管楽器、打楽器、弦楽器の音色を自由に奏でるこのオルゴールは、時を越え、私を古き良きメルヘンの世界へ誘ってくれた。聖書のように分厚い一冊のパンチカードをセットすることにより、素晴らしいオーケストラの演奏を堪能することができた。また、外観の装飾の素晴らしさ、荘厳な音の響き、そして、繊細にして美しいメロディを奏でるオルゴール。素晴らしいものは、時代を越えて人々に感銘を与えることのできるものであることを改めて感じさせられた。

とかく煩雑さに流されがちな日々の暮らしの中で、「感動」というくいを打ち込むことにより、自分自身の位置を確認することの重要性を考えさせられた、素晴らしいオルゴールたちとの出会いであった。

私にとって忘れられない言葉がある。それは、二十数年前教育実習を受けた時、お世話になったある先生の講話の中に出てきた「教育は人な

 

 

 


[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

掲載情報の著作権は情報提供者及び福島県教育委員会に帰属します。