教育福島0205号(1997年(H09)09月)-028page

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り」の言葉である。私の教員人生の中で何度も励まされ、又、確信している大事な言葉である。この言葉が百数十年前に作られたオルゴールの音色を聴き感銘を受けた時、なぜか私の心の中で一つになり、私の教育者としての今後の方向に先達としての光を与えてくれたように思えた。

いつの世も教職につく者自身の心が周囲の様々な事象を豊かな感性で受けとめ、感動を子供たちに分け与えられるような人間であらねばと改めて確認できた旅行であった。

(須賀川市立阿武隈小学校教頭)

 

自然とのふれあい

板橋健一

 

生徒や他の先生方と素直に喜びあい、自然の素晴らしさを実感した時間だった。

 

六月の選択理科の時間でのこと。学校近くの湯川に水棲生物の調査に生徒と共に出かけた。「先生、これプラナリアじゃないですか」図鑑とにらめっこしながら生徒が声をかけてきた。プラナリアは清流に棲み水がたいへんきれいであることを示す指標生物である。本校科学部の調査により、湯川でも中流域では、特にこの天神橋付近にしか棲息していないことが確認されている。市街地を流れる湯川の水が、自然の浄化作用の回復により、昔の美しい状態に戻ったことを生徒や他の先生方と素直に喜びあい、自然の素晴らしさを実感した時間だった。

生徒の理科離れが話題となって久しいが、理科教師として考えることは多々ある。

本校でも、「愛校作業」なる草むしりの時間があり、「キャー、アリ、ミミズ…」「この草、トゲがある痛い。…」その度に作業は中断する。作業の能率も心配だが「自然とのふれあい」が不足したまま中学生になった生徒たちのほうがもっと気になる。表面的な知識ばかりが目立ち、体験不足が著しい。

本市は、市街化が進んでいるとはいえ、まだまだ自然は豊富である。学区内のお寺の境内にある古ぼけた池には、梅雨の季節になるとモリアオガエルの卵塊が多数みられることに驚く。裏山から毎年繁殖のために下りてくるのである。生徒たちにぜひ見せたいと思うが、いまだ実現していない。

本校は「教科教室型」の校舎を持ち、理科にはメディアセンターなるオープンスペースがある。ミニ水族館のサンショウウオの幼生は生徒の人気者である。山から卵を採取して孵化させたものである。パソコンには、「地球温暖化ゲーム」なるものを入れておいたところ、放課後数名の生徒が熱中している。屋上のミ二植物園の花もなんとなくやさしい。少しでも自然とのふれあいのきっかけになればと整備してきた。

最近は「環境問題」が様々なマスメディアに取り上げられ、生徒たちの関心も高まっている。教育の面でも各教科の教材として取り上げられている。理科教師として私は、子供のころの「自然とのふれあい」が環境問題を解決する鍵になると考えている。自然の大切さや素晴らしさは、知識だけでは分らない。「自然とのふれあい」から自然と共に生きていこうとする気持ちが少しでも育ってほしい。「自然と共生する力」も話題となっている。「生きる力」の一つなんだろうと思う昨今である。

(会津若松市立第二中学校教諭)

 

江戸切絵図散歩

小野博史

 

思ってください。当時は、神社仏閣巡りや名所巡りに利用されていたようです。

 

私の趣味の一つに江戸切絵図散歩があります。年に数回東京へ出かけ、一日中歩き回っています。この散歩の友「江戸切絵図」とは、徳川幕府の政権が安定し、江戸文化が成熟したころ、次々に刊行された地図なのです。現在の東京区分地図と同じようなもので、ビジネスマンなどが使う役所や会社の位置がきちんと記載された地図と思ってください。当時は、神社仏閣巡りや名所巡りに利用されていたようです。

特にその美しさ、正確さから「近江屋吾平版」「尾張屋清七版」が有名です。その当時の江戸職人の巧妙繊細な技が美しい木版刷りに表されています。特に「尾張屋清七版」は、白が各藩邸、赤は神社仏閣、緑は田畑、灰色は庶民の町とカラー版になっており、その素晴らしさに感心す

 

 

 


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