教育福島0205号(1997年(H09)09月)-039page

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シーシュポスの神話から

福島市立福島養護学校教頭

矢舘清孝

 

理論的根拠でもあるこの論述文は、読んだ時から妙に私の心に焼き付いている。

 

小説「異邦人」の理論的根拠でもあるこの論述文は、読んだ時から妙に私の心に焼き付いている。

神に逆らったため、神から地獄で罰を与えられたシーシュポスは、苦しみのなかに大岩を麓から押し上げるが、山頂まで達すると岩は大きな力で転がり落ちてしまう。そして、また岩を下の世界から山頂に運ぶため麓へ戻っていく。彼はこのような行為を永遠に続けなくてはならない。カミュは「ギリシャ神話」の中のシーシュポス王の罰を引用し、この繰り返される行為を借りて、人間の生の不条理と人間が運命や岩に打ち勝ち生へと振り向く希望について説いた。

私にとって、この繰り返される行為は、非常に意味深いものに感じられた。私は今までの人生でいくつかの困難に出合ったが、いずれもこの繰り返される行為を肯定的に受け止め、岩を押し上げる苦しい無益な行為の続く一日一日を、精いっぱい生きることとし、麓からだんだん離れ、山頂への距離が短くなることを感じるたびに、なぜか心が落ち着いたものである。

本校には知的障害及び他の障害を併せ有する重複の児童生徒がおり、一人一人の山頂への距離はそれぞれ極端に違う。しかし、全ての児童生徒が純粋な忠実さで、日々精いっぱい努力している。その姿はとても美しい。それぞれの大岩を、耐えながら押し上げている姿を内包しているからであろうが、そのことはまったく感じさせずに、全ての児童生徒の表情は明るく輝いている。岩が転がり落ちた後でさえ今までの労苦から開放されて輝くばかりの喜びを持って麓に降りていく瞬間が、彼らには、何度かはあると思う。私は、彼らが全力で日々の行為を繰り返すことができるよう、環境を整えて温かく見守っていきたいと考えている。

本書は、人間の在り方について深く考えさせ、人生への勇気を与えてくれる一冊である。

 

本の名称:シーシュポスの神話

著者名:アルベール・カミュ(清水徹訳)

発行所:新潮社

発行年:一九六九年七月十五日

本コード:ISBN 四-一〇-二一一四〇二-五

 

納得の一冊

河東町立河東第三小学校教頭

目黒健一郎

 

つかの現象に明快な説明を与えてくれた一冊。それが『父性の復権』であった。

 

「ホテル家族」や「けじめの欠如」等々、時折職員室でも話題になるいくつかの現象に明快な説明を与えてくれた一冊。それが『父性の復権』であった。

私にとって読書は心休まる時間である。中心は就寝前の短い時間と列車の中である。何かの時にはできるだけ列車に乗り換えるようにしている。過疎、高齢化の進む町々を通るローカル線。一つのボックスをのんびり使っての読書。かけがえのない時間である。高校時代には文学を中心に読みあさり、徐々に科学物を、そして最近は実用書、歴史物が中心となったが、一気に読み通せる本には、近頃出会っていなかった。

久しぶりに出会えた納得の一冊。作者は、まず「父性なき社会」と題する序説で現代社会の諸現象が父性の欠如に起因するものであると述べている。「なるほど」と読み進めると、『父性』の何たるかを心理学的な立場から説明してくれる。実例を挙げての母性との違いの説明も分かりやすい。

続いて、父性の条件と権威の必要性を述べ、併せて健全な父性の有り様の難しさにも言及している。「いじめ、不登校と父性」「戦中派-団塊世代と父性」と章が進むに従い、つい我が身に置き換えて考えさせられることが多い。そして、この父性の欠如が「人類にとって非常に危険な心理的特質につながっている」という説明も、自然に納得させられる。

最終章では、父性復権の道が具体的に述べられている。『学校教育に父性を』そして『親になるための教育を』等、注目すべき六つの提言がなされている。特に、父性と男性性の違いを挙げながら現在の家庭教育の中での父性の在り方と必要性とを理路整然と説いている。

心の教育がいろいろ取り沙汰される昨今、是非座右におき、指針の一つとしたい一冊である。

 

本の名称:父性の復権

著者名:林道義

発行所:中央公論社

発行年:一九九六年五月二十五日

本コード:ISBN 四-一二-一〇一三〇〇x-c一二一一

 

 

 


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