教育福島0206号(1997年(H09)10月)-024page

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のない表現に、哀しみやいたわりを秘めた祈りが込められていました。

次の日の朝、誰からともなく野菜の差し入れです。お見舞いのようです。言われずとも伝播し合う、痛みを介して他を思いやる姿でした。

個の証としての「持ち味」の違いが、互いに好奇心をそそり、呼び合い、交じり合って共鳴し、影響を及ぼしながら様々な行動を生み出しています。出来事を多様に経験していく「暮らしづくり」の過程で、個々の存在が意味をもち、集団として機能していきます。

幼児期こそ、コミュニケーション能力を育成する絶好の機会です。それぞれ異なる感性や思考方法に魅かれ、幾度も真似て試みます。そしてやり直しながら経験を積み重ねて、自分を確かめていきます。同時に、自分の居場所を求めて葛藤し、心の揺れを体験する厳しさにも直面します。繰り返し知恵を練り、己の存在を、より確かなものへと創造していくのです。苦しくもありますが、心と体をフルに駆使し、あらゆるものに挑んでいこうとする様は、活力に満ちており、実に感動的です。

一人一人のよさを認め生かす、自由で個性を尊重した保育は、幼児たち自身の行為を遠慮なく、事細かに映し出す大きな鏡でもあり、子供たちとともに真理を求め合う営みです。

子どもは心もちに生きている。

子どもの心もちは、極めてかすかに、極めて短い。多くの人が原因や理由をたずねて、子どもの今の心もちを共感してくれない。結果がどうなるかを問うて、今の、心もちを諒察してくれない。

殊に先生という人がそうだ。

倉橋惣三著「育ての心」より

(いわき市立四倉第一幼稚園園長)

 

現場実習に思うこと

佐藤清悦

 

の一環として「現場実習」が年に二回、職場と校内において実施されています。

 

知的発達に障害の有る中学部の生徒を対象に、作業学習の一環として「現場実習」が年に二回、職場と校内において実施されています。

私が本校に赴任した当時は生徒数が多いことから、普通学級の一部の生徒しかこの「現場実習」に参加することができませんでしたが、年々生徒の減少と障害の程度が重度化してきた傾向から、ここ二・三年の間に指導方針や指導形態、あるいは実習先や実習内容などが見直されてきました。今日では中学部の生徒全員を対象に実施されるようになり、日頃取り組んでいる作業学習の成果を発揮する場として、また他の領域とも関連し合っていることから、全ての教育活動で身につけた力をどこまで生かせるか、また通用するかをためす機会として捉えられています。同時に、目標設定についても社会生活に必要な決まりや職業技能を身につけさせることに加え、実習を通して基本的な生活態度を養うことや生活経験の拡大を図ることも掲げられるようになってきました。

今から二年前、重度・重複学級から始めてY君が職場における「現場実習」に参加しました。職場が企業ということで普段とは違った作業環境などから先生方も不安が先立ち、「できるかどうか」と心配されました。初めのうちは確かに失敗の連続で慣れるまで時間を要しましたが、しだいに状況に慣れ、ある程度必要な技能を習得するまでになり、実習中のY君の姿は学校にいる時よりも生き生きとしているようにさえ見えました。実習でY君の新たな発見や成長を見ることができたのです。その後Y君は実習の経験を契機にあらゆる活動に根気強さと自信を持って取り組めるようになりました。その時になって、Y君に職場での実習を経験させて本当によかったと思えたのです。Y君が精一杯自分の力を発揮し試行錯誤しながらも「やった」「できた」という充実感を味わう場面は、作業のみならず毎日の生活の中に見られるような場を設けることが大切であると教えられました。

現在、Y君は他校の高等部において今日の課題に取り組んでいるところです。生徒が大勢いることから人とのかかわりをより多く学び、「現場実習」で培った経験を生かしながら新たな目標に向かってたくましく成長してほしいと思います。

現場実習のあり方については今後も生徒が減少していく過程で見直す必要が出てくることでしょう。いずれにせよ、生徒の特性と可能性を伸ばせるような前向きな姿勢での計画に取り組んでいければと思います。

(県立猪苗代養護学校教諭)

 

 

 


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