教育福島0206号(1997年(H09)10月)-026page
があることを知りたいと思う。
生徒一人一人が正しく行動できるようになることを期待する前に、私自身が正しく判断し行動できるようにならなければならない。そのために自分を磨き人間として成長させなければならない。人の話を素直に聞くこと、自分で考え行動しようとすることを自ら実践していきたい。そういう自分の姿を見せることで、彼らに自分の生き方を伝えたい。もし、私に伝えようとするものがなければ、私が教師として存在する理由はなくなってしまう。生徒たちに、今、伝えるべきことを伝え、生きていく力を与えてやりたい。私が伝えようとしたことが伝えられたのかどうか、その結果が出るまでは、自分を信じ生徒を愛して教師を続けていこうと思う。
(県立棚倉高等学校教諭)
五合目からの再出発
安西かよ子
「先生、風邪治ったよ」
「今日、お母さんお休みなの」
「昨日、おじいちゃん退院したよ」登園すると同時に次々と子供たちは報告にやってきます。一人一人の話にうなずきながら、丁寧にその子の様子を観察する。そんな朝が二十年間続いています。
私が町に幼稚園教諭として採用されたのは、昭和五十二年四月幼稚園開設の時でした。小学校の教室を借りての出発。園児は三十四名、園長は小学校の校長先生、事務はそれまで保育所の調理を担当されていた方、そして教諭は新米の私一人。さぞかし囲りの方々は心配されたことでしょう。
しかし、当の私ときたら小さいころからの夢がかなえられたうれしさと、子供たちと一緒に生活する楽しさで毎日がドキドキ、ワクワクの連続。そこにまずはやってみようという性格が手伝って何もわからないまま突き進んでいたような気がします。今になって思うと、悩んだり止ったりする余裕もなかったのでしょうけれど。その当時の子供たち、そしてどんな時にも「先生、頑張れ」と惜しみない協力をしてくださった保護者や、町の教育関係の方々には今でも感謝の念でいっぱいです。
勤務して一区切りとなる今年の夏休みに、私は家族と還暦を過ぎた両親と共に、富士登山をしました。五合目までは車で行き、そこから九時間歩き続けなんとか山頂にたどり着きました。途中で幸運にも、口では言い表わせない程の美しい御来光を拝むことができ、これから先の家族の幸せを願いました。五歩歩けば、休まないと前に進めない本八合目あたりからは、夫が全員に声をかけ励まし、父は母の後に付き、母のペースに合わせて登りました。このころめっきり口数が少なくなった中二の息子も「もう少しだよ」と杖を引いて私を応援してくれました。途中「もう歩けない」と座ってしまった小三の娘もなんとかついてくることができました。声をかけ合い、お互いに協力し合った今回の登山では、家族のきずなを再確認できたような気がします。今、私は一人の人間としても、幼稚園教諭としても五合目を過ぎたところ。富士登山でいうと、ちょうど靴のひもをしっかり結び直し杖をつき、山頂を目指して歩き始めたところです。これからの私の人生が悔いのないものとなるよう、時には山頂を見て自分の進むべき方向を確認し、時には後をふりむきながらも、まずは六合目を目指して歩いていこうと思います。
ゆっくり、ゆっくり自分のペースで。
(河東町立河東第一幼稚園教諭)
せんせい!なつだね
大塚克己
「せんせい、なつだね」とS君。「ほら、せみのこえがきこえてくるでしょ。だからなつになったんだよ」と彼は得意げに続けて言いました。
これは、二年前の六月ごろ、中庭の噴水が太陽の光に照らされて、きらきら輝きながらふき上がっている二校時目の算数の時間の出来事でした。
六年生の担任から一年生の担任になり、二ヶ月ほどの試行錯誤の日々の中で、「あっ!」「一年生ってこれ