教育福島0206号(1997年(H09)10月)-027page

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

か」とはじめて立ち止まることができた場面でした。

教科の学習の中で学習課題の解決に取り組んでいる時は、どの子も、課題の解決に向かって学習に集中して取り組むのが大事だと思い込み、そのような一年生に育てようとしていた自分の身勝手さに気づくことができた瞬間でした。また、子供は主体的に学んでいるということ、その学びというのは、教師が意図したことは勿論、それ以外のことも、意図したこと以上に五感を通して学び取っているということを改めて意識した瞬間でもありました。

その日以来、しばらくの間、当時の一年生の担任四人は、「感性」について話し合ったように記憶しています。そして、「夏だなと感じる心」「きれいだなと感じる心」「どうしたのかなと気遣う心」「かわいそうだなと思う心」等や、「おもしろそうだな」「やってみようかな」「こうすればいいのかな」「どうしようかな」等と思う心(アンテナ)は、いつも子供の心持ちに繊細に伸びていて、その子の言動を決定しているのではないかとなりました。また、そのような心持ちを理解し、子供たちとの日々のふれあいの中で、そのような心持ちを育んでいくこと、できれば強めていくことが一年生にとっての学校生活では大切なことなんだという結論に達しました。

そして、教師の身勝手で子供の主体的な五感を通した学びを妨げることがないようにしようということから、教師が意図していない行動に出会った時こそ、どの子にも「どうしたのかな」という言葉を最初に掛け、教師が子供のことを判断するのではなく、理解することを心がけました。

初めて一年生を担任し、小学校一年生と六年生が持つアンテナの伸びと質の違い、また小学校教育の醍醐味と教師としての責任というものを体験を通して学んだ年でした。

一人一人の感性を育てるための教師の不断の配慮の重要さを痛感しています。感性はその子に接する大人が育てる大切な心持ちなのですから。

(白河市立白河第一小学校教諭)

 

「チームワーク」とは

鈴木教正

 

一人一人が自分に与えられた仕事を責任をもって果たすこと」だと考えている。

 

「チームワークがいいね」と聞くことがあるが、チームワークがいいということは、どういうことだろう。私がいつも考えている「チームワーク」とは、「一人一人が自分に与えられた仕事を責任をもって果たすこと」だと考えている。

たとえば野球で、打者が三塁ゴロを打ったとしよう。これを処理するのは、三塁手である。遊撃手がどんなに上手だとしても三塁手の前にきて処理するわけにはいかない。三塁ゴロは三塁手がしっかり取って一塁手へ送球しなければならない。では、三塁手以外の選手はそのときどうしているだろう。もし、三塁手が後逸したときのことを考え、遊撃手や左翼手は、そのバックアップに入る。また一塁送球が悪送球になったときのことを考え、捕手や二塁手・右翼手はそのバックアップに向かう。たとえ三塁手が一塁へ悪送球しても一塁手がそれを上手に処理すればエラーにはならない。「チームワーク」とは、こういうことなのではないだろうか。

つまり、基本は自分に与えられた仕事を責任をもって果たすことである。自分に与えられた仕事もできないのに他人の世話はできない。まず自分自身に「力」をつけることである。そして、それができたら、他人を援助することができる「力」を身につけていけばよい。そういうことができて、初めてお互いが信頼し合いすばらしいチームワークができるのだと思う。

中学校の野球を指導してきて、いつもこの「チームワーク」について話をする。それと同様に「野球は一人ではできない」ことも話す。一人で練習できるのは、素振りやシャドウピッチング等。キャッチボールをするにもトスバッティングをするにも相手が必要である。自分のために練習の相手をしてくれる仲間に対しての感謝も忘れないようにしようと話す。

野球を通して私自身いろいろなことを学ぶことができ、それが今生きていくときに大変役に立っている。これからも少しでもいいから生徒に語っていきたいと思う。

学校での「チームワーク」を考えたとき、自分の仕事は何か。また、責任をもって今、自分は仕事を果たしているのか。つねに反省しなければならないと思う。これからも白球を追う生徒たちに

 

 

 


[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

掲載情報の著作権は情報提供者及び福島県教育委員会に帰属します。