教育福島0207号(1997年(H09)11月)-023page

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随想

日々の想い

ずいそう

 

地下鉄で 

伊達いずも

 

く乗降している車両とホームとの段差は乳母車にとっては案外きついものです。

 

地下鉄でのことです。電車のドアが開き、乳母車を押した若い母親が降りようとしていました。普段何気なく乗降している車両とホームとの段差は乳母車にとっては案外きついものです。

「大変そうだな」

そう思いながら見ていた時でした。乗車待ちの最前列に立っていた女の子が、ホームに座り込むかと思うくらいに腰をかがめて、乳母車の前の車軸に手を添えたのです。

彼女の補助のおかげで、乳母車の中の赤ん坊は衝撃を感じることもなく、静かにホームに降りました。

女の子は、高校生ぐらいでしょうか。ドアが開いたから乗る、座席が空いているから座るというのと同程度の自然さで、彼女は手を差し出したのです。そして、周囲の人々もそれが当然だという態度でした。この一連の光景に私は強い感動と驚きを覚えました。

この出来事は、残念ながら日本ではありません。一昨年訪れたロンドンで目にした光景です。

イギリスは、政治的にも経済的にもいろいろと問題を抱えています。移民や青少年の犯罪の増加など豊かとは言えない面も多くあります。そのイギリスで、大英博物館を始めとするすべての博物館や美術館の入場が無料だということよりも、また、ロゼッタ・ストーンのように、大変貴重な展示物がガラスケースにも入れられておらず、手で触れる程の近さで見ることができるということよりも、私を驚かせたのが、先程の地下鉄での出来事でした。そして、あの行動は、ごく普通の日常的なものだという事実に、非常に強いショックを受けたのです。

私を含めて、今の日本の社会が、他人を思いやりそれを行動に移せる雰囲気に満ち足りていたら、地下鉄の出来事も当然のこととして受け止めていたでしょう。それを、驚きをもって眺めたということは、日常の生活があまりにも他人を思いやることからかけ離れているからなのかも知れません。そんな思いに思わずがく然としたのです。

イギリスでは、商店や銀行などの入口のドアは、ほとんど手で押し開けるものです。押し開けて中に入った人は、必ず後ろを振り返り、もし次に入ろうとする人がいれば、ドアを開けたままで待つのです。次の人は、サンキューと言ってドアを受け取り、また後に続く人のためにドアを押さえます。

斜陽の国と言われながらも、相手を思いやる心に満ちあふれたイギリスを旅して、思いを新たにしたのです。

(いわき市立好間第二小学校教諭)

 

初任地での思い出

菅野富也

 

二十年が過ぎてしまい、いまさらのように月日の過ぎ行く早さに驚いています。

 

わたしも教壇に立って早二十年が過ぎてしまい、いまさらのように月日の過ぎ行く早さに驚いています。

また、美術を通して、今まで共に歩んできた教え子たちに、どれだけ美術のすばらしさを教えることができただろうかと、この歳になって考えさせられます。

私が初めて赴任したのは相馬郡の飯舘村立飯樋中学校で、学級数が六クラス、生徒数が二百二十八名のへき地の学校です。一番遠くから通っていた子供は、学校から十六qも離れた風兼と言う地区から通っていました。比曽や長泥、蕨平方面の生徒たちは、村のスクールバスで通学していました。そのため部活動に入っている生徒は、バスの時間になると帰っていくので、寂しくなるととも

 

 

 


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