教育福島0208号(1998年(H10)01月)-023page
随想
日本の想い
ずいそう
単色の絵
高島逸郎
初任校県立双葉高校以来三十余年、描き続けてくることができた油絵について思う。
双葉高校での二十代、右腕の上がらないのを左手でささえながら描いた木炭デッサン、双葉地方の海岸、高瀬川、木戸川両渓谷でのスケッチなどを、美術部副顧問として気ままにさせて頂いた事が今に繋がっている。この事は、今になってもこだわりの一日をかもし出しているのである。
五年前、須賀川市の歴史と実績を持つ洋画クラブ「新彩会」に入会したその日である。四十代最後の一日、それは三十代に一番近い一日であり、無理に二十代に繋いでいるのである。五十代になってからでは手の届かない一日にこだわってみたのである。
入会できた事は、私にとってそれまでの自己流の油絵が、抽象から具象へ、空想から現実への大転換となっていると思うからである。
私は、ポピー油の匂いの中で絵筆をとっている時、何にも増して心踊る充実感に浸ることができる。制限されたキャンバスの中でも無限の広がりを感じる時がある。
私には描き方に夢がある。いつの日にか、単色で、満足のいく絵を描くことである。それは、切り絵の世界ではない、無論、浮世絵のそれでもない。描線の限界とでもいうか、色の限界とでもいうべきかもしれない。そして、また、単なる平面でもない。むしろ、それを超えたところにあるものと自分流に位置づけている。
入会して五年間、月例合評会に毎回一〜二点の油絵を持参する。そこでは、自分の絵に説明は求められない。作品はいつも見る側の理屈でしか理解されないものなのである。描く者が万の説明を加えても、絵そのものの語りを超えることができない。説明は絵を歪め、色を褪せさせるのである。
「村長さんの家」
しかしながら、描く者には、その真意が伝わらないとの思いが大きくなる。つい、解説したくなるのも無理からぬことである。説明なのか、言い訳なのか、例会は異様な雰囲気に包み込まれることがある。会員は合評すると同時に鑑賞している訳である。作品に対しての評であるにもかかわらず、自分に向けられているように感じてしまう。自分の力無さを思う時である。
画家が饒舌になるとき、それは応々にして自惚れになっている事が多いように思われて仕方がない。
今秋二時間で仕上げた六号の絵は、十一月例会で意外にも好評を得た。だが、依然として自画自賛の域であり、単色の油絵はまだまだ先にある。(県立須賀川桐陽高等学校教諭)
華道をとおして
高木典子
ある日の事務室でのこと、
「お花(華道)をやってみたいな」
と言うと、同僚の先生が
「私もお花を習っているから、来週から一緒に行かない」
こんなきっかけで華道との付き合いが始まり、十三年目に入った。
月三回のお稽古と月一回(日曜日)の研究会を続ける中で高木麗葉という名前もいただき、教えることのできる資格も取ることができた。しかし、今でも習いはじめたころとあま