教育福島0208号(1998年(H10)01月)-027page

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

『レット・イット・グロウ』も、いいねぇ」と、驚きと喜びのあまり返答した私であったが、「?」の反応。べつに煙に巻くつもりはなかったのだが…。

表現者でありたい。稚拙でもいいから、「自分を伝える」すべを持ちたい。−思い起こせば、中学時代にギターを手にし自作曲を作り始めて以来、変わらぬ私の願いである。

歌は、「祈り」であると思う。歌には、現実を変える力はない。いくらシャウトしてみても、ない。私のようにギターを抱えて歌うものでも、正装してクラシックを歌うものでも、それに短歌などを作るものでも、同じなのではないだろうか。

十代のころには、日記がわりに歌詞を書き、曲をつけていた。その中で、知らぬうちに「自分と向き合う時間」を持っていたのだろう。そして、それを演奏する、つまり外に表現することで、大袈裟だが自己と他とのスタンスを覚えてきたように思う。

加えて、会津高校では合唱部に在籍し、幸運にも全国大会レベルの演奏に触れることができた。集団の中で歌うという、歌の持つまた違った素晴らしい側面も体験できた。

いずれにしても、多感な時期に、頑なで偏ったものになりがちな私の目を、何とかまっすぐにしてくれたのが、「歌」だったのである。

前述の男子生徒も、ギターや好きなミュージシャンの話をするとき、まっすぐないい目をしている。まだ中学生でもあるので、彼にとっての歌は、ファッションの域を出ないきらいはあるが、本当に生き生きとした表情をするのだ。

中学時代は、自己表現をあからさまにはしなくなる。発達段階としては自然なのだろうが、せめて「自分と向き合う時間」を持てるよう、国語教師・学級担任などとして、いろいろ仕組んでいきたい。好きなことに向かうときの、今のまっすぐな目の輝きを持ち続けさせたい。

そのためにも、まず私自身が、授業はもちろん趣味の世界でも、「表現者」でありつづけたい−時間や精神的余裕を創り出しながら。

(喜多方市立第二中学校教諭)

 

「エッ」からAへ

 

大和田正恵

 

さんバレーの人たちが、学校の先生を話題にして話しているのが聞こえてきた。

 

ある体育施設の食堂で昼食をとっていると、ママさんバレーの人たちが、学校の先生を話題にして話しているのが聞こえてきた。

「○○先生の授業はおもしろいんだって」

「××先生は、体育が得意でよく遊んでくれるそうよ」

「△△先生は、とてもやさしくて、子供たちの話をよく聞いてくださるんですって」

「□□先生は、…」

親としては、自分の子供が通っている学校の情報が気になるのは当然である。自分も同様だが、自分が教員であるだけに、人ごとでは済まされないなと思いつつ、すすったうどんはやけに七味が効いていた。

過日、F大学のK先生の話を聞く機会に恵まれた。気になる人は、自分の利き目の方に置くとよく見え、恋愛成功率が高まること、この利き目が、実は、指導においても重要であるという話から始まり、くつをそろえる不良はいないという話、あの世界のトップアスリートであるオッティ選手は、人格的にも秀でていたという話など、実に軽快に話を進められ、学校の先生による心の教育の大切さを説かれたのである。きっと大学でも学生たちの信頼を集めておられるのだろうと思いつつ、自分の子供たちからの信頼は、果していかなるものか気になった。

今年度、私といっしょに勉強してくれている子供たちは、私を気に入ってくれたのかどうか。

現在は、教師選択の自由はないが仮に自由化の波が押し寄せ、子供たちが教師を選ぶことになったら、君は教職で生き残れるだろうかと、先輩教師に尋ねられたことがあり、「大丈夫です。自信があります」とは答えられなかった。

日ごろから、子供たちには、授業の終わりに学習内容が分かったか、また、積極的に学習に取り組めたかという自己評価をさせている。子供たちの評価が良かったとき、自分の授業の良さが証明されると思うが、どうやら自分に厳しい子供が多いらしく、なかなかAにしてくれない。私の自己評価だけが、たとえ、Aになっても、子供たちの反応はという

 

 

 


[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

掲載情報の著作権は情報提供者及び福島県教育委員会に帰属します。