教育福島0208号(1998年(H10)01月)-026page
手助けをしていきたいと思っている。
現在、高校に戻り一年生の担任をしている。二年間の中学校勤務を終えてきた後だけに、まだ中学生らしさが残っている新入生に、今までとはかなり違った親しみを感じた。彼らが中学校で過ごしてきた様々な姿が目に浮かんでくる。校内陸上競技大会、合唱祭、文化祭などの行事に、素晴らしいクラスの団結や士気の高揚。また、授業における発表では自主的な学習状況や興味関心の度合いを知った。そして、三ヶ年の総決算ともいうべき卒業式にみられた感動の涙など。また反面、心身の未成熟やアンバランスのためトラブルを起こしたり、いつしか問題行動に走ってしまう生徒や、自己の狭い枠に閉じこもって孤立している生徒など。
わずか二年だけの研修期間で多くのことは語れないが、私にとって高校では経験し得なかった新たな体験も多かった。今、思い出すと確かに困難や苦労もあったが、反面喜びや感動も多く体験した。浅学非才の私の教職経験の中でも、この二年間は意義深い開眼の機会でもあった。
中・高一貫教育とか中・高連携のことばを聞いて久しいが、今回研修の機会を頂いてその理念だけでなく実践をとおして、その重要さをいささかなりとも理解できたことは何にもましてうれしい。
(県立富岡高等学校教諭)
一言が
阿久津啓子
十一月三日に村の文化祭が行われた。村の展示会場の隣の私たちの幼稚園は、平成三年の開園以来、子供たちの絵や空箱制作、生活の写真などをとおして幼児の姿、園生活の一端を村の皆さんに知っていただけるように、開放している。見に来られるのは、園児の家族の方が主だが、卒園された方たちも懐かしそうに立ち寄ってくださる。来られた皆さんと子供たちのことや昔の思い出話ができるのもお互いの楽しみだ。
今年卒園したMちゃんのお母さんと園生活の思い出話をする機会があった。とてもまじめなMちゃんは、入園してしばらくしてから登園をいやがったこと、年長さんになってからはMちゃんらしさを発揮したことなど。そんな話の中で、入園したてのMちゃんが大人顔負けのきちんとした片づけをしていたのに、そのうちに自分の始末をしなくなってしまった時に、お母さんに、「大丈夫、もともとしっかりとしたMちゃんだから黙って様子をみていてください」と話した。「でも、こんなに散らかしたままで…、と思いながらもしばらく自分で片づけをしていました」という話をお母さんはしていかれた。この言葉に嬉しさと同時に「一言」の重みを考えさせられた。
Mちゃんのことを振りかえってみても、入園当初は見事な片づけをしていた姿に、「とってもじょうずなおかたづけね」という言葉かけをしてはいなかっただろうか。もし、そんな一言を言っていたとしたら、そのころのMちゃんにとっては、「わたしは幼稚園ではこうしていなければいけない」という恐怖の一言だったに違いない。
言った者にとっては相手に対するほめ言葉や励ましのつもりの一言が言われた者にとって、時によっては決してプラスにならない場合もあるのだと、この事だけでなく今までの色々な失敗を思い返しつつ感じたのだ。
ものを言わずに生活するわけにはいかないのだから、一言の大切さをお互いがちょっぴり意識して口にしたとしたら、きっとちょっぴり良い思いで過ごすことができるようになるのではないか。特に、言葉そのままを受けとってしまう子供たちへの言葉かけの難しさに、「目の高さに立って」「心の動きを見つめて」「場の状況に応じて」ということと、時には無言の語りかけの大切さを改めて感じている。
(舘岩村立舘岩幼稚園教頭)
表現者でありたい
橋本浩志
「先生、先生。やっぱりクラプトンは、『ワンダフル・トゥナイト』が最高ですよね、渋いですよね」
ある男子生徒の問いかけに、思わずニヤリとしてしまう。このところのアコースティック・ブームの火つけ役になったエリック・クラプトンだが、まさか二十数年前のバラードが中学二年生の口から飛び出すとは思ってもみなかったからだ。
「いいねぇ、特にライブ盤のがね。それに『レイラ』の後半のピアノ、