教育福島0208号(1998年(H10)01月)-028page
と、「エーッ?」なのである。
毎日試行錯誤しながら授業を工夫し、子供たちや保護者から少しでも信頼されるように、「エーッ」からAになるように努力しているところである。
(郡山市立福良小学校教諭)
スキーとの出合い
江井伸夫
私とスキーとの出合いは十五年前にさかのぼる。
ある時、同僚の先生が
「先生、スキーはやりますか」
と声をかけてきた。私は生まれて以来、浜通りでしか生活したことがなく、雪を見るのも珍しく、ましてスキーをする機会もなかった。
「私は毎年スキー仲間と山形蔵王に行っているんですが、先生も行きませんか」
と誘われた。私にとってスキーは危険であるという印象が強く、ましてもうすぐ三十歳になろうとする自分が、今からスキーなどできるだろうかと思い悩んだ。しかし、これは冬を楽しむ絶好の機会かもしれないと思い、参加することにした。
同僚の先生のスキー仲間はみな会津のほうの教員で、若い先生の中に一人年輩の方がいた。その方は元校長先生で、もう六十三、四歳になろうかという先生であった。
初心者は私一人、あとは上級者ばかりである。私は「とんでもないところに来てしまった」と後悔した。
その日は年輩の先生にスキーのほんの基礎の部分を教えていただいたが、何度やっても転んでばかり、そして転ぶとなかなか起き上がれず、一日にして「もうやめたい」と音を上げた。するとその先生が、「スキーは一回やってもう二度とりたくないと思うか、何度もやりたいと思うかのどちらかだ。ただ、一度覚えれば自転車乗りと同じで、一生忘れない。君はどっちを選ぶかな」
と言われた。
そこまで言われてはやめるわけにはいかない。そう思いながら二日目を迎えた。ところがその日は急に山頂から降りることになり、昨日の決心を後悔した。二本のゴンドラに乗り山頂に到着、急斜面を見て驚いた。そこはザンゲ坂という崖のような狭い所で、とても私のような初心者が降りられるところではなかった。しかしスキーで降りなければ帰ることができない。年輩の先生に前をリードしてもらいながら、何とか中腹まで滑り降りることができた。というよりは転げ落ちてきたと言ったほうがよいかもしれない。すると先生が「頂上を見てご覧なさい。あそこから降りてきたんだから、もうどんなところでも大丈夫」と言われた。
あれから十五年、今から思えば随分無茶なことをしたものだと思いつつも、あの時挑戦したからこそスキーが自分の趣味として身に付いたのかとも思い、教えていただいた先生には感謝している。
さて今年はどこのスキー場に…。
(原町市立原町第二中学校教諭)
できたよ!
大塚勢津子
二学期の終業式も終わりに近い日、
「先生、Tさんが乗れたよ」
と、M男君が息をきって教室に走りこんできた。十九人全員が一輪車に乗れた瞬間だった。
「全員が乗れるようにしよう」
というめあてを掲げて取り組んだ結果、夏休み前には三分の一が校庭一周できるようになった。あまり運動の得意でないT男君が、夏休み中に乗れるようになったことも刺激になり二学期になってから、いっそう意欲的に取り組むようになった。一人、二人と
「乗れたよ」
と、にこにこしながら報告してくる子が多くなった。そんな中でTさんと自閉症のN男君だけが乗れないでいた。N男君は、練習することは嫌がらないで、休み時間になると楽しそうに一輪車にまたがっていた。しかし、Tさんは極度に目が悪く恐怖