教育福島0208号(1998年(H10)01月)-029page

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心の方が先行して一輪車にまたがるのでさえ容易ではなく、なかなか乗れないので意欲も減退してきていた。校庭が使えるうちに頑張ろうということで、いつもはわんぱくでお茶目なM男君が後ろを支え、女の子が二人、右と左の手をつかんで練習しているほほえましい姿が何日か見られた。そんな状態が続いた日のことだった。

さっそく校庭に行ってみると、晴れやかな顔で一輪車に乗っているTさんを見ることができた。私自身、「N男君とTさんは、無理かな」と思っていた気持ちを恥じると同時に、あきらめないで頑張った本人と周りの子供たちに大きな拍手をおくった忘れられない日になった。

終業式前日のお祝いの会で、一輪車にまたがった十九人の満足そうな笑顔が今でも目に焼きついている。

前任校で二年生を担任していた時のことだが、現在は、出分科として家庭科と書写を受け持っている。

「ぼく、こっちの方がうまく書けたんだ」

「そうだね。ここ上手になったものね」

「ここ、前よりよくなったね」

「うん」

静寂の中での清書が終わり、前の時間の作品と並べた時、子供たちのほっとした表情、「頑張って書いたよ」という満足感が、一人数秒の会話であるが感じることができる。

技能的に個人差が大きくあらわれる教科なので、子供自身が自分の向上を意識し、満足感が得られるように言葉かけを大事にしながら関わっていきたいと思っている。

あのTさんとM男君の笑顔を忘れず、子供の思いを大事にし、大きな温かさをうちに秘めていたい。

(矢吹町立善郷小学校教諭)

 

担任としての喜び

 

佐藤智哉

 

と感じる一方で、生徒への指導の仕方や接し方について難しさも実感している。

 

初任者の私にとって、毎日のでき事はとても新鮮であり、貴重な経験となっている。その中でも、学級担任としての日々の勤務はとても楽しく充実していると感じる一方で、生徒への指導の仕方や接し方について難しさも実感している。

過日、全校で実施した合唱コンクールにおいても、いろいろなことを学んだ。

自分自身の中学時代の合唱コンクールを思い起こすと、男子生徒の非協力的な態度、女子との意見の食い違い、そして苦労していた担任の先生の姿が思い出される。そんな思い出があるからか、自分が担任としてどのように指導したらよいのか、子供たちの取り組みの様子はどうなのかという不安で一杯だった。

練習が始まった。案の定、男子の歌声は小さく、消極的な取り組みの様子だった。その日は黙って見守っていた。それは、男子に強く指導すべきか、今後予想される学級全体での話し合いの場で自分たちに考えさせるかなどについて、私自身も迷っていたからだ。しかし、その後もこれといった的確な指導もできないまま思い悩む日々が続いた。

「四組が一番声が出ていますよ」

音楽の先生からこういうお話をいただきました。それを学級の子供たちに紹介した。不思議なことに、練習が進むにつれて男子の声も出るようになり、子供たち同士や子供と私の連帯感が徐々に強くなっていった。

今になって考えると、試行錯誤の中で、声の出ていないことを注意するのではなく、少しでも努力しようとしている生徒の取り組みを称賛しながら練習に取り組ませたことが、子供たちの意欲につながったからだと思う。

合唱コンクール当日、子供たち以上に緊張している自分がいた。演奏は今までの演奏の中で一番のできとはいかなかったものの、身体全体を使って精一杯歌う子供たちを見て熱いものがこみ上げてきた。「四組 銀賞!」審査結果が発表された。子供たちは予想外の結果に驚きながらも、全身で喜びを表していた。私も学級担任としての喜びをひしひしと感じた瞬間だった。そして、一人一人のよさを見つけることの大切さを実感した。

この九ヵ月間、担任として試行錯誤の毎日だったが、その中で子供たちから素晴らしい喜びを与えてもらった。「よさ」を見つけることの大切さをはじめ、子供たちから教えられること一つ一つが貴重な宝物だ。

今は担任として子供たちとともに一生懸命努力していきたいと考えている。

(福島市立信夫中学校教諭)

 

 

 


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