教育福島0209号(1998年(H10)02月)-027page
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を見ていると教え子という財産が残る。これは大したもんだなあ」と、少し大げさに言っているのを耳にしました。教え子たちが結婚話や近況報告のために我が家を訪ねてくれたり、街の中で出会って、私に話かけてくれたりする姿を見て、夫はうらやましげに語ったのでしょう。
これまでには子供たちとの様々な出会いがありました。
生活行動が心配で、夜遅く何度も家庭訪問をしたAさん。自閉症気味で登校拒否だったけれど登校するようになり、無事就職した時の、にこやかな笑顔が忘れられないBさん。大学院まで進み、ロボット研究の仕事に携わっているCさん。何かと問題行動が多かったが、生徒会副会長を務めるようになったDさん…。
このように様々な子供たちとの出会いは、私個人に限ったことではありませんが、夫のいう教師冥利に尽きる貴重な財産だと思います。
話は飛躍しますが、三年余りで二十一世紀となります。
日本も国のあり方を様々な角度から見直そうと毎日のようにテレビや新聞で報道されています。教育も改革の大きな柱の一つになっています。その方針や施策などは、私自身にとってあまりにも大きい問題であり、よくわからないことばかりです。しかし、私は教師自身が人生を美しく、真剣に、より良く生きる努力をする姿が教育の第一歩であると思います。
この前読んだ雑誌の中に「教育者は怖いですね。四十人の子供を教えていると、四十台のレントゲンで撮影されているようなものです」と書いている人がいました。私も全く同感です。時代は変わっても教師が子供の前に自らをさらすことは、教育の原点であると思います。
これからも理想の教師像を追い求めながら、人生を美しく、真剣に、より良く生きる努力をしていきたいと思います。
一つ 常に子供の中にいること
一つ 保護者の考え方をつかむこと
一つ 教師間の連携を密にすること
一つ 骨身を惜しまないこと
私の貴重な財産が少しでも増え、子供たちも豊かな人生を送ることができるよう念じているこの頃です。
(いわき市立平第三中学校教諭)
体験のすすめ
鈴木清次
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現在、学校教育の見直しが行われておりますが、これは、今までの欧米に追いつけ・追い越せの考えから、学歴偏重の社会になり、画一的な知識詰め込み教育となり、子供たちに「個性やたくましさ・豊かな心」が失われつつあることの反省が込められていると思います。
これからの教育を考えたとき、当然、学力向上は大切です。同時に一人一人の個性に応じた教育−中教審の答申でも「ゆとりの中で生きる力を育む」と述べられています−が必要になってくると思われます。
これは、子供たちが自ら学び、自ら考える力をつけ、問題が生じたときには、自分で解決しようとするものです。この力が将来、社会人になって逆境に立ったとき、それを解決できる強い意志と実行力となるわけです。どんな時代が来ようとも、たくましく生きる人間の育成を目的とした教育が必要となるゆえんです。
これらに対応すべく、学校教育も変わりつつありますが、我々の家庭の現状を振り返ってみますと、どうでしょうか。相変わらず「学歴偏重の意識」が強いのではないでしょうか(理想と現実の狭間にたって…)。
私がなぜ、体験や経験を人生の中で大切な要素と考えているのかは、次のような体験を通して感動したことがあったからです。
一つは、青年会議所時代にNGOとして、ベトナムにマングローブの植林を行ったことです。これはエビの養殖や建材・薪にするためにマングローブが伐採されたため、生態系がくずれ、地球環境に悪影響が出たためですが、経験して初めて地球環境の大切さやベトナムの人々の自然を大切にしたいという切なる願いを感じることができました。
もう一つは、富士登山をしたことです。仲間と共に声をかけ合い、励まし合って苦しい思いをして山頂をめざし、御来光を拝んだあのときの感動は、生涯忘れることがないでしょう。もし、登山の経験がなく、他人から話を聞いても、体験がなければ「そんなものか」で終わってしまうと思います。
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