教育福島0209号(1998年(H10)02月)-046page

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を考えなければならないと思います。

中でも一番大切な事は、数々の国々と自国を対等に見る事だと思います。相手の国や人を劣っていると判断する事によって生まれるものは、優越感という自己満足だけで、それは何も生み出さないのです。逆に、優越感に浸る者こそが、人間的に弱く、劣った人だと思います。私達は様々な国々に対して持っているこうした偏見をなくし、お互いに対等の立場で、温かい心で接して行くべきだと思います。それによって初めて相互理解が成り立ち、本当の意味での国際社会での第一歩が踏み出せるのだと思います。

私は先日亡くなったマザー・テレサの言葉が忘れられません。それは過去三度に渡る訪日の際の、日本人に対する彼女の印象ですが、「一見豊かだが、精神的には貧しいのではないか。」というものです。あまりにも端的な言葉に、私は強いショックを受けました。確かに彼女の言う通り、精神的な貧しさからの偏見、差別をもっと自覚すべきだと私は思います。マザーの半世紀にも渡る愛と奉仕は、民族や宗教を越え、多くの人々を救いました。私は彼女に、偏見や差別のない精神的な豊かさを感じ、人間として見習いたいと思いました。

私達は今、相互依存の時代に来ているのだと思います。地球規模で起きている環境問題や人口やエイズの問題など、国境を越えた課題に直面しているのです。それは自国の力だけでは解決の方法がありません。国際社会が色々な困難を乗り越える為には、国際協調が不可欠なのだと思います。

今、世界の人口の二十パーセントが先進国で、八十パーセントが発展途上の国で暮らしている事を考えれば、私達先進国が援助の手を差しのべる事が必要だと思います。それは、途上国の政治の安定と経済発展が先進国の発展につながると考えられるからです。その為にも、途上国に対しての技術協力や、開発や発展に伴う環境悪化への配慮など、先進国がリードして行く事が必要であり、それがこれからの日本の役割だと思います。

しかし、これらの事をスムーズに行うには、その国の持つ文化や歴史や習慣を理解し、尊重しなければならないと思います。もし、先進国だという意識のもとに高慢になって、技術協力をしてやっていると思ったり、教えてやっているという思いを持って接すれば、全てが水泡に帰すと思います。高い所から物を言うのではなく、現地の人と同じ目線での協力が必要であり、お互いの心の交流が必要なのだと思います。

私は二年前に訪れたマレーシアの友人と今も文通を続けています。最初、イスラム教徒が着る衣装に違和感を覚えましたが、彼女に説明をしてもらい、行事や儀式の時に着用する事が分かり、少しずつ違和感も消えて行きました。また、食事を右手で食べる事も、実際にやってみると思った程抵抗がないものでした。この事からも、先入観を持つよりも相手を理解し、受け入れようとする努力が必要な事が分かりました。私は彼女との文通を通じて、様々な文化の違いを学び取る事ができました。そして今ではお互いに悩みを話し合える程になりました。今年、父親を亡くした彼女は私に、「どうしたら良いか分からない程さびしい。」と書いて来ました。私は生まれて初めて他人の為に祈り、心から激励しました。後でそれが彼女の大きな支えになったと知り、私でも役に立てた感激で一杯になりました。私はこの時、彼女と私の心の絆を強く感じました。共に色々な事を感じ、共に心から思いやり、理解し合える素晴らしさを彼女は私に教えてくれました。そして彼女が言う様に、私も心からの友情を育てて行き、日本とマレーシアのかけ橋になりたいと思います。

国際交流で最も大切なのは心の絆だと思います。私は彼女との文通で、言葉の奥にもっと大切な物がある事に気付きました。それは、心で何を伝えるかだと思います。言葉は一つの手段にすぎないのです。私達が心の絆で結ばれる為には、偏見を捨て、国籍や人種にこだわらず個人として認め合う事が必要だと思います。一人でも多くの人がこの事に気付けば、素晴らしい交流の輪が広がると思います。

 

 

 


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