教育福島0210号(1998年(H10)04月)-024page

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上空を白鳥の群れが北に向かいはじめ、桜のつぼみもようやくふくらみはじめ、春らしくなってきます。五月になって、校舎の周りに足を運んでみると、小さなスミレがたくさんの薄紫色の花を咲かせているのを目にすることができます。梅雨が明けるころには、サルスベリの木に桃色のきれいな花が咲き、自転車置場のわきでは、ツリフネソウが赤紫色のちょっと変わった花をたくさん咲かせます。秋になれば、学校の周りの田んぼが黄金色に変わり、十月下旬には田んぼから稲もなくなり、それとともに寒さが感じられてきます。

年も変わると、校舎の周りは一面銀世界へと様子を変えていきます。自然に恵まれた学校なので、このように改めて学校の周りを見回してみると、小さな発見が実に多くあります。

また、毎日のあいさつ運動をとおして、生徒の新しい面を発見することもできました。昇降口で見る生徒の表情は毎日違っています。教室の中では見ることのできない様々な表情を見ることができます。特に、暗い表情で登校してくる生徒は気になります。教室でもおとなしく、毎朝うつむいて校舎の中へ入っていく生徒が、昇降口に立っている私に笑顔を見せてくれた時には大変うれしくなります。毎朝、生徒の表情を見続けることにより、生徒の内面も少しだけ知ることができたような気がします。

みんなが明るい表情で登校することを願いながら、今年も昇降口で新しい発見をしていきたいと思います。

(熱塩加納村立会北中学校教諭)

 

母さんの笑顔

大井川昌子

 

ただけだったので、どんなふうに親の姿が映っていたのかと心配でしたのに…。

 

四月九日は雨でした。娘が高校の制服を着て、私の前へ立ったので、肩のあたりをパンパンとたたいて「よく似合うね。入学おめでとう」と声をかけたら、娘の笑顔が、小さかったころに戻ったようでした。−−ひざにだっこして本を読んであげたのが、この子でした。保育所に夕方迎えに行くと、私を待って、一人でおもちゃを片付けて、とんで来たのもこの子でした。発熱しても、もりもりごはんを食べていました。両親共働きの保育所育ちの生活でも、明るく育ってくれたかけがえのない子です。−−忘れかけていたことが、急に思い出されました。大切に、願いをこめて育ててきたのです。この娘が、春の出発にあたり、将来の希望は、「教員になること」だというのです。親の後ろ姿を見て育つといわれた、大切な時期には、ただもう、精一杯生活していただけだったので、どんなふうに親の姿が映っていたのかと心配でしたのに…。

私は現在、二年生担任として、釜子小学校に勤めています。息子と同じ年ということもあって、自分の子だったら、という思いが、いつも頭をかすめます。この二年生の子たち一人一人が、生まれる前から、どんなにか周りの人たちから期待され、生まれて後は、一日一日を、どんなにか大事に大事に育てられて今に至っているのかを、一時として感じないわけにはいきません。母さんの笑顔の中で、すこやかにしかも、成長してきていることを、忘れてはいけないと思います。

私が子供のころの、母さんの笑顔は、「ただいま」「おかえり」の思い出の中に、いつもありました。穏やかな笑顔です。今、私は教員として働いていますので、私の息子や娘に「おかえり」と言ってくれるのは、あの母さんの「笑顔」です。私を見守ってくれた、私の母のおもかげです。

何十年も前を思い、これからを思い、そして今を思う時、私は、母として、「母さんの笑顔」を忘れずに、子供を育てていきたいと思う今日この頃です。

(東村立釜子小学校教諭)

 

 

 


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