教育福島0210号(1998年(H10)04月)-025page

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穴釣りの記

飯野信也

 

てしまって檜原湖に通う酔狂者は数え切れないのである。今冬は二万人とある。

 

はまってしまってかれこれ十年である。家族には冬の寒いときに何もわざわざ結氷した檜原湖へ、朝も早くに、大荷物背負って、と言われ続け、そして、あきれられている。が、氷上のカラフルなテント群を見れば、なぜそんなにしてまでという疑問はすぐに解決するというものである。はまってしまって檜原湖に通う酔狂者は数え切れないのである。今冬は二万人とある。

さて、十年前「先生、穴釣りやっか」と誘われるままに、某学校職員釣りクラブに入会。おもむろに手ほどきを受けたのを思い出す。その師が次々と釣り上げるのに、私はというとひきさえわからないのである。ましてや「あわせる」などという技さえ理解できない。じっと竿先をみつめていると師は「誘え」と言う。竿を上下させると今度はひきがわからない。手はかじかみ、爪先は痛いほど冷たくなっている。初めてのワカサギは6尾であった。ここがはまるか、懲りるかの分かれ道なのだが、私は、はまった。以来、シーズンに七、八回は通うようになってしまった。テント、ドリル、バーナーと毎年のように買い足し、装備も充実、そして技術も我ながら格段に向上した、と思っている。

そもそも穴釣りの魅力はどこにあるのだろうか。釣り仲間同士の情報交換も楽しい。微妙な当たりなので竿先や仕掛けの工夫、餌の付け方等、個性的で話は尽きない。そして冒頭のごとく出かけ、遊魚券を買い求めその日の情報等を集め増す期待感。ポイントを地形等からあてずっぽうに定め、はやる気持ちを抑え穴を穿つ。仕掛けに餌をつけ第一投。この当たりを待つ緊迫感。そして当たりに合わせるタイミング。指先に感じる手応え。踊るワカサギ。仲間との会話。ここで忘れてはいけないビールの喉ごし等。これらすべてが魅力であり、醍醐味である。

細々と書いてきたが、最近ではこの釣りはかなり神経を使うものだと感じている。多くの釣果を得ようとすると、かなりの集中力が必要なのである。心配事などあってはならない、あっても笑い飛ばす奔放さが必要なのだ。他を考えず、集中する。これが帰り道の「いやぁー、今日もしっかり遊んだなぁ」という爽快さにつながる。遊び全般そうなのだろうが、しっかり遊ぶと爽快さが残り、またやろうという気持ちとともに、実は次の日からの仕事に、そして生活にも張り合いが生まれ、質が違ってくるように思うのだ。「遊ぶために働くのだ」という訳の分からない信条のようなものも本気で「そうだ」と思えるのだ。釣りクラブの3大大会の優勝カップをすべて手にした今シーズン、弟子も増えた。檜原湖をワカサギ釣りのメッカにしてくれた先人と漁協の努力に感謝しつつ、次を思うのである。いつまでもにんまりしてはいられない。来シーズンまで十ヵ月しかないではないか。

(耶麻農業高等学校教諭)

 

部活動と私

亀岡友博

 

目標に向かって共に歩むとき、新たな発見をし、日々子供たちから教えられる。

 

部活動を通じ、子供たちと向き合い、一つの目標に向かって共に歩むとき、新たな発見をし、日々子供たちから教えられる。

初任地の三春町立中郷中学校(現桜中)でのソフトボールを振り出しに、転勤する度に野球、ソフトテニス、そして現任校での卓球と担当が変わった。馴れ親しんだ競技で専門性を深められないこと

 

 

 


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