教育福島0210号(1998年(H10)04月)-026page

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や新たにルールや指導法を学ばなくてはならないことに、転勤の度に苦労した。しかし、様々な競技の専門家と交流できるとともに、一から勉強できる修練の場を与えられたと思い取り組んできた。

私の部活動での指導方針は次のとおりである。

人や物に対する思いやり・感謝の気持ち、目標を持ち計画的に進める実行力、将来へ生きて働く力、忍耐力、自主的・自治的活動。運動嫌いな子にも自信と勇気を持たせることなどの育成を図りたいと考えている。

特に、思いやりや感謝の気持ちの育成については、選手を支えている補欠の生徒、先輩、後輩、両親をはじめ家族、地域の人々、他の先生方へ感謝できること。またボールが、用具が、グラウンドがなければ、プレーできないのだから、それらに感謝し大切にする人になれるよう具体的に話をしている。将来へ生きて働く力については、部活動を通じて学んだことを高校や社会に出てから生かすことや生涯スポーツの基礎づくりという点で指導している。

しかし、教えているばかりではなく、逆に子供たちから学ぶこともたくさんある。選手になれなかった子から「今まで部活動を続けてきて、自分にはとてもプラスになった」という手紙をもらった時。全国大会の緊迫した場面で、動ずることなく自分のプレーをし力を出しきった時など、子供たちから教えられ、また励まされてきた。

少子化、多様化、生涯スポーツへの移行という狭間の中で、問題点もあり改善していかなければならないこともある。だが、各競技の専門コーチではなくとも、我々教員だからこそできる部活動で教えることが「生きて働く力」になることを願って、今日も練習場へ向かう。

(福島市立茂庭中学校教諭)

 

忘れかけていたもの

〜教え子の成長から〜

池田精一郎

 

ナす。高校選抜チームの一員として明日から国体に参加します。M夫も一緒です」

 

「お久しぶりです。高校選抜チームの一員として明日から国体に参加します。M夫も一緒です」

ある秋の夜の電話であった。連絡をくれた彼に、はなむけの言葉と他愛もない話をした後、懐かしい思いを胸に私は受話器を置いた。

「全国大会に出場したら東京の遊園地でいやというほどジェットコースターに乗せてやるぞ」

そんな私の誘い文句からサッカーを始め、小さな体で全国大会の切符をつかんだ小学生は、あのころと変わらぬ夢を追い続けていた。

そんなことがあって数ヵ月後、今度はある病院の待合室で白衣の女性から声をかけられた。

小柄で清楚な笑顔の中から記憶の糸をたどろうとしていた私に、

「○小学校でお世話になったA子です」

と彼女は言葉を続けた。

私が担任していた時、父親を病気で亡くし、「お母さんを大切に」という私の言葉に涙を流しながら無理に笑顔を作っていた四年生の少女は、素敵で立派な看護婦さんになっていた。

「先生はよく坂本龍馬の話をしてくれましたね」

とは、会話の中の彼女の弁であるが、担任の記憶というのは、授業よりもそこから外れたことのほうが鮮明に残っているようである。

「お母さんを大切に」

〜十数年前と同じ言葉を告げて別れた彼女の笑顔に今度は涙はなかった。

年月は、私の知らない間に教え子たちを逞しく成長させていく。

そういえばあのころ、無学であったが努力と行動力、そして独創性で日本の歴史を変えた幕末の風雲児・坂本龍馬の話を、子供たちの成長に期待を込めてよく話したものである。私は、夢や可能性を秘めた坂本龍馬が大好きだった。

さて、今の私はどうだろう。目先のことにばかりとらわれていないだろうか。十数年の間、経験という貴重なものを積み重ねてはきたが、大切な何かを置き忘れてき

 

 

 


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