教育福島0210号(1998年(H10)04月)-027page

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てしまったような気がする。

初心を思い出すために読み返した書物。その中の龍馬は、やっぱり昔と同じように私を一笑した。

「お前(まん)の考えは小さい、小さい。子供たちはお前ら大人より、もっと自由で、でっかい夢と心を持っちょるぜよ」

(郡山市立大島小学校教諭)

 

義務教育七年生

相楽正弘

 

須賀川市学校教育指導委員に委嘱され、ある中学校を訪問したときのことです。

 

今から二年ほど前、須賀川市学校教育指導委員に委嘱され、ある中学校を訪問したときのことです。

当時の校長先生の説明の中に「義務教育七年生」という一節が含まれていました。何のことかと興味を抱きつつその後の説明に聞き入った私は、中学校の立場や役割を原点から見つめ直す機会を与えられたような気がしました。

以前、代理として参列させていただいた小学校の卒業式において子供たちは最上級生らしく、しかも凛凛(りり)しい姿を見せてくれました。

ところが、中学校では、幼い子扱いをしてしまい、当然、当該学年では、「落ち着きがないなど」の話題が沸き上がったりしてしまうことが多くあります。しかし、ここで考え直したいのは、卒業式での凛凛(りり)しい態度に辿り着くためには六年間の紆余曲折(うよきょくせつ)の積み上げがあったということです。あるとき、清掃時間外に職員玄関付近の手洗い場を、洗い流している生徒を見かけ「えらいね、君は」と声をかけると、「玄関は、お客さんの目につく場所だから、いつも清潔にしておかないと」という言葉が返ってきました。基本的な生活習慣の未完成な生徒が話題となる昨今ですが、小学校の先生方や保護者が教え導いてきたことが、しっかりと身に付いている生徒はたくさんいます。ところが、中学校になると、ともすると「中学一年生になったのだから、……できないといけない」などの話をしてしまいがちです。義務教育七年目で大切なことは、どうすればできるようになるかを個の実態に応じて具体的・適切・段階的に支援・援助を行うかということです。このことは、小学校六年間の子供たちの生活の様子、学習の様子、先生とのかかわり方や保護者の「しつけ」の状況を踏まえ、七年目の基本的な生活・学習態度の習慣形成を図ったり、指導する必要があるということです。学習指導を例にとれば、小学校において、どんな内容をどんな方法で学んできたのかを知っておくことは最低限必要なことです。

卒業生を送り出し、何か淋しかった校舎に四月六日、活気が戻ってきました。新入生の表情に、卒業式で見せた希望と自信がそのまま表れるよう、小学校の六年間の累積の上に七年目を築いていきたいと心を新たにしました。

(須賀川市立第二中学校教諭)

 

願いの強さが心をうつ

室井康志

 

えた、素晴しい歴史がある。その多くは本になっていてすぐ読むことができる。

 

わたしたちには、多くの先人たちが手紙や葉書で心を伝えた、素晴しい歴史がある。その多くは本になっていてすぐ読むことができる。

たとえば、夏目漱石の手紙、坂本竜馬の手紙、モーツァルトの手紙。時代も洋の東西も違うけれどその言葉一つひとつ、文章の一つひとつは、わたしたちの胸に響いてくる。

便りについて書かれた文章も多いが、わたしは、台湾の航空事故で惜しくも世を去った作家・向田邦子さんの、「字のない手紙」という、父の思い出を記したエッセイは、読むたびに目頭が熱くなって

 

 

 


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