教育福島0210号(1998年(H10)04月)-029page

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とも必要だ。もどされたボールを受けると、自分にはマークがついていない。視野が広がり、すばらしい展開ができることが多くなる。何事においても二歩下がり、スルーパスを出すことの大切さを学んだ。

金房小学校はサッカーの伝統校である。毎日昼休みに、子供たちと一緒にサッカーを楽しんでいる。楽しむ中で、自分のこれまでの経験の少しでも、子供たちに伝えていきたい。子供たちがサッカーを通して学んだことを、更に次の世代へ伝えてくれたらうれしい。

(小高町市金房小学校教諭)

 

村づくりと学校

渋谷慎司

 

実を約束しました。しかし浮き浮きした状態は二年で消えることになりました。

 

四年前、相馬農業高校飯舘分校に転任してきました。自給自足の暮らしにあこがれ、農業に関わりたい一心で喜び勇んで越してきました。翌年には念願の農業科の組担任となり、生徒らと三年間の充実を約束しました。しかし浮き浮きした状態は二年で消えることになりました。

二年前、飯舘分校の普通科への学科改編から高校教育の変容を実感しはじめました。屋台骨であった農業教員は次々と転出し、そのあおりで私は組担任から生徒指導主任へ回されました。小さな高校の一教員が「社会の変化に対応した」などという題目を実践しなければならない立場に置かれました。

飯舘村は阿武隈の山間にある過疎の村です。出生数も年々減っています。村存亡の危機の中にあります。だが、村民は負けてはいません。数々の村おこし企画を実行してきました。過疎を止め活力ある村にしようとしているのです。この地域での飯舘分校の位置は微妙です。村活性化の使命を担う村の子らは高度な学力を求め都市部に出ていきます。分校からの就職も村外がほとんどですが、若者を地元に引きつけなければ村の未来は見えてこないのです。その両立には飯舘分校の再生が鍵になるのではないでしょうか。

二年前より社会科の授業の中で「討論いいたて!」と銘打ち、村づくりを主題のひとつとして生徒に取り組ませてきました。クラスを六〜七班に分け討論させ村の改革案を練り、それを直に村長に提出させました。飯舘分校を地域振興の要とする作戦です。これは私の旧来の夢である「高校を地域文化の拠点に」という思いとも重なります。こうした授業の中では暗記の苦手な子らも村の切実な話となると一人前の口をきくから不思議です。それが稚拙な内容だとしても将来性は十分です。今後の課題は生徒らの提案をより現実に近づけていくことです。それは飯舘分校の生徒を村の主人公にすることでもあります。

教員になってちょうど十年が過ぎました。絶対に脱サラしようと思いつつ始めた教員です。さすがにちょっとした買録もついてきました。物事が少し分かってきたような気もします。教員としては、なお地域との結びつきを深め授業に磨きをかけて、飯舘分校を「村づくりの高校にとして躍動させていくつもりです。

(相馬市立相馬農業高校飯舘分校教諭)

 

 

 


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