教育福島0210号(1998年(H10)04月)-033page

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ふしぎな芸術との出会い

県立郡山養護学校教諭

佐藤美和子

 

ちにさせる、若いエネルギーに満ちた絵を、一年前、学校の中に見つけました。

 

廊下の壁いっぱいに広がる明るい世界。どんな子が、どんな思いで描いたのか。この上で筆を動かしていた子供たちに出会ってみたい。そんな気持ちにさせる、若いエネルギーに満ちた絵を、一年前、学校の中に見つけました。

「ふしぎのアーティストたち」を読んだ時に最も強く感じたのも、物を創るエネルギーでした。「いろいろな約束事を踏みにじり、蹴とばして、恐ろしいばかりのパワーをもっている」。田島征三さんの表現がぴったりの、無骨だけれどあたたかい、そんな物たちが「見てくれ」と言っているようでした。それは、絵本の表紙から今にも飛び出してきそうな、田島さんの「ちからたろう」のイメージと重なり、養護学校の子供たちの作品にも共通する「上手さ」を越えた不思議な魅力に溢れていました。

信楽青年寮に生活する知的障害者の創る手漉きの和紙。「原料である椿か雁皮かの繊維がヘビのように紙の中でのたくりまわっている」。「こんなミットモナイ紙を漉いとるからアホやいわれる」、そんな和紙が気に入り、夢中になって絵を描いていく画家、田島征三。「タシマセーゾーさんがまっちょるけに」と、必死になって紙を漉く寮生。両者の深いつながりは、「精一杯応援しようと思った。しかし実をいうと、この和紙を漉いている彼らから応援されてぼくは絵を描いた」という言葉に表れているように思います。「ぼくは、きみたちを必要としている」と言う田島さんと、「すてきな物をつくる知恵」に溢れた青年寮のアーティストたちに、心からのエールを送りたい気持ちになりました。

学校の廊下ですてきな絵を見つけたように、彼らの芸術作品が、突然どこかに現れるかもしれないと思うとき、楽しい夢が広がるのです。

 

本の名称:ふしぎのアーティストたち

著者名:田島征三

発行所:労働旬報社

発行年:一九九二年十月二十八日

本コード:ISBN 四-八四五一-〇二六八-四

 

いのちの重み

県立二本松工業高等学校教諭

紅屋聡

 

れているゆるやかな時間が何げなく見過ごしているものの多さを教えてくれる。

 

この著者の飾らない言葉が忘れかけていたことを思い出させてくれる。この本に流れているゆるやかな時間が何げなく見過ごしているものの多さを教えてくれる。

著者は元中学校の体育教員。部活動指導中の不慮の事故のため首から下は動かない。口にくわえた筆で描く絵と文字に心を動かされ、著者の本を何冊か手にした。

ページをめくるとそこには細やかな自然描写の絵と短い中にも人間味に満ちた文が並んでいる。著者は私たちに見えないものを見て、聞こえないものを聞いているのである。

私は生徒に対し、「健康で健常であることはひとつの奇跡」と話すことがある。人間の体は実に巧妙に機能し、健康を維持しようとしている。けれども、それは脆く、不安定なものである。

健康を損なうとその有難みを実感するが、本当に健康な時はそれを忘れ、ともすると別の不平不満が膨らみ出す。そんな身勝手な心にこの本は静かにしみてくる。

また、随筆の中に出てくる山村には、失われつつある里山があり、人と自然が共生していた懐かしい風景がある。まるで「朧月夜」にうたわれたような、ほのかに暖かい静寂の景色である。

そこに育った著者は今、電動車椅子で散歩に出る。自分の手では鳴らすことのできない鈴を椅子につけて。振動が直接頭に伝わるので嫌でたまらなかったデコボコの道にさしかかり、憂鬱な気持ちで通ろうとした。この道が鈴に息を吹き込み、著者の耳元で小さな音色を響かせた。もっと聴きたいと思い、その道を戻った。そして、またひとつ嫌なものが無くなったという。

自信を失いかけている者に勇気を与え、いのちの優しさと力強さと可能性を教えてくれる本である。

 

本の名称:鈴の鳴る道

著者名:星野富弘

発行所:偕成社

発行年:一九八六年十二月

本コード:ISBN 四-〇三-九六三二九〇-七

 

 

 


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