教育福島0211号(1998年(H10)06月)-024page

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をいう。弟子がその師よりもすぐれている場合などに言うが、この言葉を聞くと学級の子供たちのことを思う。

中学校の教師として九年目になるが、何とか私も学級担任をさせていただいている。今、受け持っている三年生は一年生から持ち上がってきた子供たちであり、とても近くに感じる。成長したなぁと思うこともたくさんあった。

生徒会で清掃問題に取り組み、学級でも話し合いをすることになった。不安も大きかったが、思い切ってすべてを子供たちに任せてみた。すると、予想以上に充実した話し合いが行われたのである。学級役員は前もって相談し、

「先生、このように進めてみようと思います」

と計画を示した。なかなかよく考えた内容である。実際に話し合いをしてみると、友人たちの素直な意見を引き出し、だからといってふざけているわけではなく良いものだった。最終的なまとめは難しかったようだが、話し合いを終えて子供たちの顔は満足そうであった。

まだまだだなぁと思っていたが子供たちは確実に成長していたのである。驚くと同時に嬉しさがこみあげてくる。もっともっと、力を発揮してほしい。

昨年の文化祭の準備でのこと。私のクラスでも子供たちが中心となり活動していた。ちょっとしたことがもとで一部の子供たちが気まずい関係になってしまった。どうしようかと思い悩んでいたある日、提出物の中に小さなメモ用紙がはさまっており、こう書いてあった。

「先生、最近元気ないですね。私も調子出ません。ごはんでも作ってあげましょうか」

はっとした。担任としてもっと大きくかまえ導くべきところを、逆に子供から励まされ、まだまだだめだなぁと思ってしまった。

毎日の生活の中で、子供ってすごいなぁと思うことがよくある。大きな可能性があり、大人を乗り越えて成長するはずである。そして私は、その子供たちの能力を最大限に引き出すことのできる教師でありたいと思う。まだまだ諸先輩に教わることも多く、未熟者ではあるが、私もいつか師を越えたい、とがんばっている。

(本宮第二中学校教諭)

 

心の育ち

大関彰久

 

て、ばいきんマンは悪いことするの。どうして、泣いているの。どうして……」

 

「どうして、ばいきんマンは悪いことするの。どうして、泣いているの。どうして……」

アンパンマンのビデオを観ている息子の「どうして」攻撃が始まります。「それはね、意地悪しているからだよ。それはね、悲しいからだよ。それはね……」日常生活の一こまです。

こんな話があります。都会のマンションに住んでいるので、犬を飼えないことは分かっている子供が、学校の帰りに子犬を見つけ、かわいいなと思います。そのことを早く伝えたくて走って家に帰ります。「ねえ、おかあさん、かわいい子犬見つけたんだ」と話しかける子供に、「今、忙しいの」「ここでは飼えないって分かってるでしょう」と一言。これでは、子供との心の対話はおしまいです。「どんな子犬だったの。どんな色していたの」と仕事の手を休めて話を聞いてあげたらどうでしょう……。

心の育ちは、普段の生活の中にこそあると思います。私たちは、忙しさに紛れて、目に見えるものばかりに価値を見いだし、大切なものをどんどん置き去りにしているように思えてなりません。もう一度、自分の周囲を子供の眼で見直すことが、必要なのではないかなと思います。

子供たちには本来「育ち」があり

 

 

 


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