教育福島0211号(1998年(H10)06月)-026page

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校四年生の時であった。現在から四十八年前の事である。小さな道場であり、仲間は八、九名であった。現在でも強く心に焼きついているのは、寒稽古の厳しい環境の中での稽古である。早朝五時三十分という時間帯で行われ、赤城颪しの凍て付く寒さの為に、手足は冷たさを通り越して、痛みばかりであった。十日間の稽古はきつく、逃げだしたい気持に襲われたが、何故か逃げ出す事は出来なかった。稽古も終り、面をはずして、挨拶を交わし、帰り道の清清しい気持は最高のものであった。それは実践した者のみが味わう、すばらしい、そして得難い貴重なる体験であろう。私にとってはこの経験が基礎となり、現在に至っているといっても過言ではなかろう。

さて、昨今の生徒たちのスポーツ離れはどうした事であろうか!格闘技、剣道を例にあげるならば、年々部員数の減少を辿り、団体を組めない学校が続出している。特に女子の減少は著しい。男子よりも女子に剣道(又は各種スポーツ)を行って欲しいと願う者である。何故なら嘗てドイツが、女子の為にハンドボールを考案し、盛んに行わせ、国の再興に力を注いだ歴史を持っているが、現在の日本も、青少年、特に女子の教育に剣道(又は各種スポーツ)を行わせるべきであると考えるからである。一体、何が生徒たちを変えてしまうのか、どこに問題があるのか、真剣に考えねばならない大きな問題である。現在の生徒たちは汗をかく事を嫌う。汗無くして何が得られようか。楽をして強くなりたい、うまくなりたいと考える傾向が強いのが現実である。剣道はよく言われる。「痛い、臭い、寒い、暑い」と。されどこれらを克服しない限り光りはないと考える。最初に述べたように私の剣道生活は四十八年間になるが、剣道界では五十、六十歳は洟垂れ小僧といわれる。剣道は奥が深い。その奥を求めると共に、勤務する限り、数少ない生徒たちと共に汗を流し、清清しい気持を味わいたいと考えている。加えて、私は「気」という言葉をモットーとしている。「元気、本気、やる気、根気、勇気、覇気、意気……」。部活動では勿論、クラス担任をした時も、これらの「気」の中から五つを選び出し、つたない自らの毛筆でこれらの文字を書き、教室に貼って置く。生徒も私も共々、日々努力をし、これら五つの「気」の実現の為に精進してきたのである。今の若者たちに是非実行して欲しいと願っている。若き少年少女たちよ、その日の為に心身を鍛えて置け!

(県立小名浜高等学校教諭)

 

熱い思い

秋山充司

 

私が走り始めたのは昭和四十二年の中学校一年生の時からです。

 

私が走り始めたのは昭和四十二年の中学校一年生の時からです。

西白河駅伝大会の選手に選ばれたことがきっかけでした。特に優れた運動能力があるわけでもない私でしたが、全校生徒百五十人ほどの小さな学校でしたので、体育の長距離走で少しいい記録を出すと、ほとんどが候補選手に選ばれていたわけです。

当時、駅伝競走は一人の走る距離が四キロメートルもあり、私にとっては大変な長い距離でした。そして、私の中学校はどちらかというと、参加することに意義があるといった感じでしたので、それほど意欲的な取り組みをしていませんでした。

ところが、二年生になると体育の先生を中心に先生方が、様々な活動に全力で応援してくださり、駅伝も朝と夕方の厳しい練習が始まったのです。夏休みには二十キロメートルを走る練習もあり、挫けそうになる私たちを、先生方はいろいろな場面で援助してくれたのです。ある先生は、おにぎりや味噌汁を準備し、別の先生は、はちまきを作り、私たちの汚れた練習着を洗濯してくれました。

 

 

 


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