教育福島0211号(1998年(H10)06月)-027page
このようなことから、いつしか、「いい加減な練習はできない!頑張らなければ!」という気持ちになってきたのです。
今になって思えば、私たちに目標を持たせ、それを達成させるための先生方の熱い思いがあったからだと思います。
私たちも少しずつ自信が出てきて、二年生では四位、三年生の時は準優勝しました。学校創立以来の快挙となったのです。学校はもちろんのこと、地域のみんなが喜んでくれたことを今でも鮮明に覚えています。
私たちは先生方のお陰で、悔いのない、思い出多い中学校生活を送ることができたのです。
ここ数年、運よく陸上大会や駅伝大会にかかわる機会があり、子供たちの汗を流し、涙を流す場面をたくさん見ることができました。また、子供たちとともにふくしま駅伝に出場するという幸運にも恵まれ、学校や地域の応援を肌で感じ、中学校時代の新鮮な気持ちを味わうこともできました。その度に思うことは、この子供たちに悔いのない中学校生活を送らせてやりたいということです。そして、目標を一つでも持ち、達成する喜びを味わわせてあげたいと思うのです。
教員生活も二十年を過ぎた今、あの時の先生方のように熱い思いで取り組んでいこうと思います。
(矢祭町立矢祭中学校教諭)
日記指導をとおして
芳賀真理子
教員になって二十年目を迎える。二十年もの長い間、教壇に立っていったい何をしてきただろうかと思うと、何もしないでいるうちにただ時間だけが流れてしまったようで、はずかしさとむなしさでいっぱいになる。
ただ、一つだけ、これだけはと毎日欠かさず続けてきたことがある。それは子供たちの日記指導である。新採用が中学校であったため、担任する子供たちとも一教科だけのおつきあいとなる。毎日一人一人全員に声をかけたいが、きっと無理だろうと考え、せめて紙上で心の交流を図ろうと始めたのが日記指導であった。
以来十四年間中学校にお世話になり、日記のおかげで、ゆれ動く中学生の心を理解するのに役立ち、ある時などは、大事件に発展しかねないできごとをくい止めることができたこともあった。毎日全員の日記を読み、自分の思いを書くことで、何となく、子供たちと心が結ばれていることを実感し、安心していられたのである。
ある子供が悩んで何ページも書いてきた時には、私もそれに負けずに何ページも書いてやり、書きたくない子供には、あの手この手で、少しでも心を開き、自由に書けるように支援した。
五年前、小学校に移ることになり、心機一転、新たな指導のし方をと考えてみたが、長年続けてきた日記指導をやめてしまうのが心残りで、結局続けることにした。ところが、小学校では空き時間がほとんどなく、いつ日記を読むかが問題となった。初めはとまどったが、慣れるに従って、時間をうまく使えるようになり、何とか全員の日記を読み、簡単なコメントを加えられるようになった。今年で小学校勤務六年目を迎えるが、ずっと高学年担任をさせていただき、やはり日記指導の重要性を感じ、毎日実践している。
話をしなかった五年生の子供が、日記で心の交流を図っていく中で、少しずつ話せるようになり、卒業式には、人一倍大きな声で、私の呼名にこたえてくれ、うれし涙を流したことも忘れられない。
子供を伸ばすには、その心をつ