教育福島0211号(1998年(H10)06月)-030page

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いときになんとかしようとして動き回ったり、声を出したり、チームをまとめたりする選手がいなくては流れを変えることはできない。また、「あいつにボールをつなげばなんとかしてくれる」と信頼される選手もいなければならない。

サッカーのワールドカップが間もなく開幕する。サッカーを始めたばかりの我が子と一緒にテレビで観戦しながら、Sさんのことを話してやろうと思っている。

(いわき市立汐見が丘小学校教諭)

 

教育は太陽

三輪晶子

 

「教育ってやっぱり太陽だな」と、この頃つくづく思います。

 

「教育ってやっぱり太陽だな」と、この頃つくづく思います。

イソップ童話に、「北風と太陽」という話があります。北風と太陽のどちらが旅人の着込んだ服を脱がせることができるかを競う話です。北風がどんなに強く吹いても旅人の服を脱がせることはできません。太陽がぽかぽか温めたとき初めて旅人は服を脱ぐのです。

教育もこの話と同じではないかと思うのです。『温かい太陽のような心でなければ子供の心を開くことができない』当然のことなのですが、教師が子供に接する時自分の都合だけを考えて行動すると大切なことをつい忘れてしまい、教師の言葉はいつの間にか「北風」になっていることが何度もあります。

学校を休みがちなA君を担任したときのことです。三年生の二学期も半ばになっていました。

「A君、どうして学校に来ないの。夜遅くまでゲームしているから朝起きられないんじゃないの。二学期は進路を決めるのに大事な時期だから学校に来ないとだめだよ。自分が困るんだ」

子供の気持ちを思いやらない、自分の立場しか考えない「北風」のようなこの言葉に、当然のことながら、A君は黙ったままでした。

「A君、学校は楽しい?」

「……」

「勉強ばっかりで面白くないか。勉強だけがすべてじゃないよね。人生はいろいろあっていいと思うよ。まっすぐ歩く人もいる。遠回りする人もいる。道に迷う人だっている。立ち止まる人もいるもの。A君は何が好き?何になりたいの?」

「機械が好きだから自動車整備工になりたい。だから勉強しなくてはと思う。学校に行くために寝ないで朝まで起きてることもある。でも、朝ちょっと寝てしまうともう起きられない」

彼はやっと心の重いコートを脱いでくれました。

強い風(立場だけでの指導)で吹きつけても開かれなかった彼の心も太陽の温かさ(相手の気持ちを思いやる人間としての心)を感じた時、初めて開かれたのでした。『教育は太陽』こんな当たり前のことを生徒とのかかわりから痛感させられる毎日です。

A君は今、自分の夢を叶えるべく専門学校に通っています。

(郡山市立湖南中学校教諭)

 

 

 


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