教育福島0212号(1998年(H10)07月)-034page

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心に残る一冊の本

 

百歌繚乱…

県広報広聴課主任主査兼広報第一係長

福原龍太郎

 

時代背景やそこに生きた人々の思いとともに、胸にしみ入ってきたものでした。

 

以前、ラジオ番組の中でご自身を「当マイクロホン」と呼び、聴取者に「おこころ豊かにお過ごしでしょうか」と語りかけるアナウンサー氏がいらっしゃいました。曲の紹介を自作の短いエッセイに綴って語る「中西節」に、様々なメロディが、その時代背景やそこに生きた人々の思いとともに、胸にしみ入ってきたものでした。

そんな記憶とオーバーラップするのがこの一冊。百人一首の現代詩訳に、それぞれの歌にまつわるエッセイを添えて、光琳かるた、歌仙絵などをカラーで紹介した傑作です。従来の評釈本とは全く違う「つくり」で、初(そ)めて手にしたとき新鮮な感動を覚えました。現代詩訳とはいいながら、そこには「訳」を超えた独自のドラマチックな世界が広がっていました。

−ため息をつき/寝返りをうち/眠ろうとしても眠れない/ひとりの夜/ひとつの枕/あなたは今宵もお見えにならぬ/もう これっきりなのかもしれぬ と/まんじりともせず横たわる身に/ようやく空が白み初めるまでの/夜の長さ/闇の重さ/あなたは ご存じないのです/決しておわかりにならないのです−

流麗にしてダイナミックな現代詩は、原作を忠実にトレースしながらさらに鮮烈なイメージを膨らませて、歌人たちの生きた時代と彼ら一人ひとりの生きざまをかいま見せてくれました。

とはいうものの、「現代の和泉式部」と評されている訳者には申し訳ない読み方が専らでした。この名歌アンソロジーをネタにウイスキーのCMコピーが一晩で何本作れるか、演歌やシャンソンに仕立て直しできないか、アメリカ映画にするなら時代設定やキャスティングはどうする等々…

「この本で読書会をしよう」と田島町のW書店の奥さんから声がかかったのは、南会津に勤務していた十五年前のことでした。

 

本の名称:「百人一首」

著者名:吉原幸子

発行所:平凡社

発行年:一九九二年十一月十六日

 

誹風柳多留(はいふうやなぎだる)初篇

若松商業高等学校教諭

秋保誠一

 

初篇が江戸で刊行され、天保九年百六十七篇で終刊となった川柳集の名前です。

 

明和二年初篇が江戸で刊行され、天保九年百六十七篇で終刊となった川柳集の名前です。

高校時代の近世文学史で各前だけは知っていましたが、読んだのは三十歳を過ぎた頃でした。句解の全くない岩波文庫(昭和二十五年初版)だったせいもあり、一読して驚いたことは、何しろ難句が多くてさっぱり分からない。読んで句意がすぐに分かったのは、初篇七百五十六句中わずかに一割ぐらいだったと思います。それでも先人の残してくれた句解の御陰で句意が分かってみると、なかなか面白い。面白いからまた読むという趣味の域を出なかったのですが、十一篇に入ってからは、句解がありませんので、自分で句意を解き明かすしかありません。その時から私の江戸川柳の勉強が始まりました。読んだり調べたり、また人に聞いたりして悪戦苦闘の末、ぱっと句意がひらめいた時のうれしさは、数学の難問が解けた時のうれしさにもまさるものがありました。それがだんだん病み付きとなり、今日まで二十数年続けて来ました。

江戸川柳の勉強は時間と金がかかるとよく言われますが、私も来春定年を迎え、退職後は時間的なゆとりだけは出来ますので、私のライフワークのつもりで、本腰を入れて取り組んでいこうと思っています。

私が江戸川柳にのめり込むきっかけを与えてくれた「柳多留初篇」こそ私にとって忘れることの出来ない、まさにこの一冊だと言っても過言ではありません。

なお参考までに申し添えますが、初篇から十篇までの十冊が社会思想社教養文庫に入っています。全句に簡明な句解があり、江戸川柳を味わうには、この十篇までを読めば十分だと思います。その中でも「柳多留初篇」は、佳句が特に多く江戸川柳のエキスがぎっしり詰まっている魅力ある句集ですので、ぜひ一度読んでみて下さい。

 

本の名称:新潮日本古典集成(第六十三回)誹風柳多留初篇

校注者:宮田正信

発行所:株式会社 新潮社

発行年:一九八四年二月五日

本コード:ISBN 四-一〇-六二〇三六三-四

 

 

 


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