教育福島0213号(1998年(H10)09月)-034page

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心に残る一冊の本

 

一つ一つの物を生かす心

県立いわき養護学校長

堀内俊秀

 

う感覚から遠ざかりつつあった私にとって、それは新たな視野の発見であった。

 

以前には法隆寺や奈良の大仏殿は、建立の歴史的価値と、古いが故に貴重な建物であるというだけの認識であった。しかし、この本と出合って古の宮大工の自然観とそれを生かす心を知った時、自然を生かすという感覚から遠ざかりつつあった私にとって、それは新たな視野の発見であった。

著者は語る。「石の重心というのは石のまん中にあるんやないで。石が一番太うなっているそこにあるんや。…」「自然石やから、一つ一つ石の表面が違いますな。それでもこれがあるから建物が千三百年も持つんですな」飛鳥の宮大工は、あえて礎石の上面・下面を平らにせず、重心のある石の一番厚味のあるところの真上に柱を置いたという。このことにより、柱は長い年月傾くことなく立っていると説く。

さらに、当時の建造物には、一本一本の木の性質を生かしているとも語る。「山の南側の木は細いが強い、北側の本は太いけれども柔らかい、。…生育の場所によって木にも性質があるんですな。…」飛鳥人は木の持つ性質を十分に生かしていた。しかし、「これが室町あたりからだめになって来ますな、まず木の性質を生かしていない、だから腐りやすく……」「江戸になると、大名に言いつけられて予算内で仕上げようとしてやったんでしょう。自分たちで造ろうとするものに対して最善を尽くそうとする姿勢が見られない」それぞれの時代の建造物は、当時の人々の物の考え方を映していると言う。

この本全体を流れるものは、著者の木に対する愛情と洞察であり、同時に著者の人生観でもある。この本にはさらに、無駄の持つ意味、教えることと育てること、法隆寺宮大工口伝等味わい深いものがある。

この本を読んで以来、建造物の心に出合う楽しみを知り、己のあり方も考えさせられている。

 

本の名称:木のいのち 木のこころ

著者名:西岡常一

発行所:草思社

発行年:一九九四年二月十八日(十刷)

本コード:ISBN 四-七九四二-〇五三二-五

 

当たり前の生活

教育庁文化課主査

真田実

 

こに引き寄せられるように訪れる江戸庶民の喜怒哀楽を描いた短編連作である。

 

この小説は、江戸は深川・中島町の通称澪通りにある木戸番小屋に住む夫婦(笑兵街とお捨)とそこに引き寄せられるように訪れる江戸庶民の喜怒哀楽を描いた短編連作である。

描かれている登場人物は、どんなに不格好で、時に滑稽に見えても、とにかくそれぞれの人生を一生懸命真剣に生きている人々であり、いろいろな事情から苦しみ悩み疲れた時、その木戸番小屋の燈と夫婦を思い出し、この二人を訪れては知恵を借り、生きる力を取りもどしてゆく。傷つきながらも、あたりまえに生きようとする市井の人々を、細やかに暖かく描いている。

小説の舞台は、江戸時代であるが、描かれている思い通りにならない暮らしに苦しむ人々の姿は、今と比べても、身につまされるものがあり、苦しむ人々が木戸番小屋の夫婦に出会うことによって、救われていく、出会いの大切さを考えさせる。決して裕福とは言えない木戸番夫婦が、辛い人・淋しい人たちに無条件に手を差し伸べる姿は、読む人々にさわやかな読後感を残すとともに、人間が人間として生きることの意味を考えさせてくれる。そのやさしさがしみじみと心にしみる素晴らしい小説である。

江戸時代を舞台とした良くできた小説として軽い気持ちで読み進むうちに、登場人物の思い悩む姿に今の自分を投影して読むようになって、自分もお捨さんや笑兵衛さんの住む澪通りの木戸番小屋を訪れたくなっているのに気付く。今ではただのお人好しととられるような夫婦が、困っている人がいれば何かと面倒を見るという人間として当然のことをしているだけなのではあるが、忙しい現代では、そんな当然のことをできる余裕もなくなっているのではないかと、この本を読んで不安な思いにも駆られるのである。

 

本の名称:深川澪通り(みおどおり) 木戸番小屋

著者名:北原亞以子

発行所:講談社(文庫)

発行年:一九九一年九月十五日

本コード:ISBN 四-〇六-一八五四八四-四

 

 

 


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