教育福島0214号(1998年(H10)07月)-016page
特集2
甦るふくしまの歴史
−埋蔵文化財の発掘調査−
文化課
近年福島県では年間二〇〇件近くの埋蔵文化財の発掘調査が行われている。その大部分は開発に伴う事前調査ではあるが、郡山市の大安場(おおやすば)古墳、福島市の宮畑(みやはた)遺跡、いわき市根岸(ねぎし)遺跡のような保存・整備を目的とした調査も行われている。
これらの調査により、それまで考えられなかったような発見がなされ、結果として歴史の見直しが迫られているというのが現状である。新発見があるであろうことはある程度予想されていたが、それを超えるスピードで続く発見に対応し、いかに新たな歴史像を示すかも文化財保護の課題となってきている。
大安場古墳出土車輪石(郡山市教委提供)
一 旧石器時代
−最古の人類たちの登場−
日本で最初に旧石器時代の遺跡と認められたのは、昭和二四年に発見された群馬県岩宿(いわじゅく)遺跡である。
県内ではほぼ同じ頃に鏡石町の成田(なりた)遺跡から後期旧石器時代の石器が発見されている。
その後、昭和四七年頃より本格的な調査が行われるようになり、特に昭和六〇年頃から郡山女子大・県立博物館等の活発な活動により、後期旧石器のみならず前期旧石器時代の様相も明らかになりつつある。
三万年以前の前・中期旧石器時代の遺跡はすべて平成元年以降発見されたもので、東村上野出島(かみのでじま)遺跡が最初である。旅のの絵、西郷村大平(おおひら)遺跡、福島市竹ノ森(たけのもり)遺跡等が発見されている。平成七年から九年に柳田俊雄氏・郡山女子大が調査を行った二本松市原セ笠張(はらせかさはり)遺跡の第二文化層以下は一〇万年よりも古いもので、第五文化層は二〇〜三〇万年前となる見通しも述べられている。これは、現在日本最古とされている宮城県上高森(かみたかもり)遺跡に匹敵する古さであり、原人が県内に住んでいた証拠でもある。
原セ笠張遺跡跡第4文化層出土石器(柳田俊雄氏提供)
三〜一万年前の後期旧石器時代の様相も近年の調査でかなり明らかになりつつある。
会津若松市笹山原(ささやまはら)A遺跡では姶良(あいら)火山灰の下層から石器が出土しており、二・五万年前後の後期旧石器時代前半のものであることが確認された。
福島市学壇(がくだん)遺跡では旧石器時代終末期のものである細石刃(さいせきじん)を中心とした石器群がまとまって出土している。
これらの調査により県内でも原人から現代人に至る過程の文化の概要が明らかになりつつある。