教育福島0214号(1998年(H10)07月)-019page

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五 飛鳥時代

 

これまでは地方で飛鳥時代を時期区分に用いることは無かった。それは、この時期の年代を決める資料が少なかったのと、時代のシンボルである初期伝教の伝播が中央よりかなり遅れると考えられていたためである。

しかし、相馬市〜新地町の善光寺(ぜんこうじ)窯跡群が昭和六二・六三年に調査され、地方においても飛鳥時代を設定する必要性が確認された。この窯跡出土の七世紀前半の瓦が相馬市の中野廃寺(なかのはいじ)に使用されたもので、大化改新以前に仏教寺院が建立されていたことが判明したのが直接の理由である。

その後、各地でこの時期設定の妥当性を示す発見が続いている。

 

相馬市中野廃寺跡出土の軒丸瓦(7世紀前半)

 

相馬市中野廃寺跡出土の軒丸瓦(7世紀前半)

 

六 奈良・平安時代

 

この時期の遺跡では集落跡の他に官衛、寺院、生産遺跡等の調査が注目される。めずらしいものでは須賀川市古舘(ふるたて)古墳がある。

 

−古代の地方官衙−

福島県は古代郡家(ぐうけ)所在地が判る地域としては全国有数である。

いわき市では磐城郡家跡の根岸(ねぎし)遺跡と付属寺院の夏井廃寺(なついはいじ)跡の調査を行っており、郡家の構造が明らかになってきた。さらに、周囲の遺跡から木簡が出土し、当時の行政のあり方の一部が判明するなど大きな成果が上がっている。

県指定史跡の原町市泉廃寺(いずみはいじ)跡は、周囲の調査を行った結果、古代行方郡家跡であると判明した。また最近須賀川市で発見された栄町(さかえまち)遺跡も古代磐瀬郡家跡と推定される。

 

−古代の工業地帯宇多・行方−

浜通り地方原町市〜新地町の地域(古代行方・宇多郡)からは多くの古代製鉄遺跡が発見されている。原町市金沢地区、新地町武井地区等が代表的なものである。操業は七世紀後半に始まり、九世紀後半まで続き、最盛期は八世紀後半〜九世紀前半である。この地域は陸奥国府より離れた背後地域で、最盛期が律令国家の対蝦夷戦争の時期と重複することから、両者の関係も考えられている。対蝦夷戦争の兵站基地としての古代福島県の性格を示すものであろう。

 

原町市大船◆A遺跡の製鉄炉跡

 

原町市大船◆A遺跡の製鉄炉跡

 

−墓制・経塚・山岳寺院等−

古舘(ふるたて)古墳は丘陵にある切石積み横穴式石室を有する古墳で、正倉院と同類の唐様式の大刀が出土した。地元首長の墓であろう。

喜多方市松野千光寺(まつのせんこうじ)経塚は現在東北最古であるが、その構造は不明であった。平成五年度の調査により新たな構造が判明し、経筒が出土した。いわき市上ノ原(うえのはら)経塚では経筒から法華経八巻が出土した。極めて珍しい発見である。

会津若松市大戸(おおと)窯跡群は八世紀後半より操業を開始しており、九世紀には岩手県までの広域に流通する製品を生産していた東北最大窯跡であることが判明した。

 

七 中世・近世

 

中世の遺跡の調査は、道路等を中心とした開発の性格上、城館跡に偏る傾向がある。そのような中で古代から続く窯跡群である大戸窯跡群、鎌倉・室町時代の街道沿の宿場跡を検出した郡山市荒井猫田(あらいねこだ)遺跡、伝伊達朝宗基に接し鎌倉時代の寺院らしき遺構を検出した桑折町万正寺(まんしょうじ)遺跡、室町時代の寺院跡を検出した梁川町輪王寺(りんのうじ)跡・茶臼山北は注目されよう。

近世の遺跡では二本松城跡・三春城跡・白河城跡・会津若松城跡等の城郭とそれらに伴う町屋跡、福島市岸窯・浪江町を中心とした大堀(おおぼり)焼きの窯跡・相馬市〜新地町の製塩遺跡群、原町市〜小高町の野馬土手(のまどて)等広範囲に及び、今後の成果が期待できる分野である。

 

八 まとめ

 

これまで述べてきたように、近年の大規模かつ多くの調査により新たな歴史像を組み立てるための資料は着実に積み上げられてきている。今後は、これをいかに用いるかの方法の検討が急がれよう。したがって、このテーマも「甦りつつあるふくしまの歴史」が適切かもしれない。

 

 

 


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