教育福島0214号(1998年(H10)07月)-024page
りたいと思っていたし、自分の目指す技術よりもずっと易しい段階のものだったからである。
しかし、続けているうちに「教える」ということの難しさがわかってきた。「模範となる滑り」や「生徒のフォームを見る目」「生徒が上達するための練習方法」を自分がしっかりと身につけていなければ指導はできないということに気づいたのである。
初めて指導したのは、二年生から六年生までの小学生だった。講習で学んだことや自分の経験などをもとに、スキーに慣れること、曲がることを必死で指導したつもりでいた。しかし、午前中の指導が終わったとき、
「みんなでつながって滑ったり、長く滑らせたりしてみたら」
と、私の指導をじっと見ていたスキー学校の年配の先生から言われた。一人ずつ滑らせていたのでは、アドバイスをすることが中心となり、子供たちは、自分の番になるまでただ待つだけになってしまうことに気づき、自分の指導を反省させられた。
大人十人を受け持ったこともあった。同じ技術を目指すグループとは言え、体の動きやスピードなど、一人一人が全く違うのである。
「頭ではわかるんだけど、できないんだよね」
と、ある受講者から言われ、どきっとした。ただ指導教本の内容を説明したり、滑ってみせたりということだけでは十分ではなかったのである。全員を指導しながらも今度はAさんの足の動き、次はBさんの体の向きを考えた練習と、一人一人に合った指導に努めた。
講習を終えて帰るとき、受講者から一本の缶ビールを手渡された。それには、みんなからの感謝のメッセージが書かれていた。
このことによって、教職を目指す気持ちがさらに強まり、そして今、十二名の子供たちを前に、一人一人を考えた指導の大切さを痛感している。
これまでの経験、そしてこれから出会うであろう様々な体験を、今後に生かしていきたい。
(いわき市立大野第二小学校教諭)
南会津の渓から学んだこと
馬場裕史
どこまでも透明で清らかな水面をカゲロウを模倣した毛針が音も立てずに流れて行く。「そら来い!」胸の鼓動が高まるのを押さえ水面を割って飛び出す山女魚や岩魚を今か今かと待つのは実に楽しい。そして何よりもこの瞬間の緊張は、まるで初恋の相手に初めて胸の内を打ち明けるそれに似ている。
フライフィッシングを始めて今年で九年になる。この釣りに出合ったころは、ひたすら数を釣ることに夢中になっていた。そんな中、縁あって平成四年に群馬県から南会津郡の高校へ赴任した。「なんて水と自然のきれいな土地なんだろう」、それが私の第一印象だった。そこには眩しい限りの澄んだ水が多くの渓に豊かに流れ、その水の美しさを一層引き立てるように自然が満ち溢れていた。初夏のころはよく釣りをする手を止め、河原に腰を下ろして冷たい流れに足をつけ、真っ青な空や遠く山々の残雪を見上げた。すると、ゆったりと時が流れていくようで、「生きているんだな」という実感と、何とも言えない安堵感を感じたものだった。そして、今まで気にも止めなかった身近な自然の美しさに改めて感動するとともに、この何物にも代え難い美しさをずっと守っていかなければという妙な義務感がわいてくるから不思議だった。
今、授業の中で生徒と一緒に「河川の水質」について調査をしている。生徒に自分の住んでいる自然環境がどのような状況なのか知って欲しいと思った。生徒は調査の中で新しい発見と驚きを見せる。この時の顔は実に生き生きとしていて、南会津のあの美しい渓で水遊びをする小さな子供のようであ