教育福島0214号(1998年(H10)07月)-025page
る。そして、生徒の心の中に自然を大切にする気持ちが育っていくだろうなと確信する瞬間でもある。
今では数少ない美しい自然をいつまでも後世に残していかなければという気持ちになったのも、南会津の渓に出会ってからである。
また、南会津の渓は私たちが忘れ去ろうとしている何かを教えてくれたような気もする。それは幼かったころ、誰もを水遊びや虫取りに夢中にさせた、遠くなりつつある心の故郷に対するノスタルジアかもしれない。
(喜多方商業高等学校教諭)
米寿バンザーイ!
〜トントンばあちゃんとの出会いから〜
佐藤千和子
今年米寿を迎えたトントンばあちゃん。トントンばあちゃんとの出会いは、二十数年前になります。私の家の近くの別荘におじいちゃんと二人引越してきました。おばあちゃんは、地域の人たちに三味線や踊りを教えてくれていました。私の母も二歳の孫(私の息子)を連れてよく通っていました。しゃべり始めたばかりの息子は、階段をトントンと登ってそのおばあちゃんの家に行くのでトントンばあちゃんと名付けてしまいました。
トントンばあちゃんとは、その後もずっとお付き合いを続けていますが、現在は原町の老人ホームにいらっしゃいます。私たち家族は時々ホームを訪ねて元気一杯のおばあちゃんに会ってきます。
「ここに来て十五年が過ぎたのよ。でも病気で寝たこともないしありがたくて」と目を細め話されました。
おばあちゃんには、東京に嫁いだ娘さんがおられます。ある日娘さんは、手芸用品を箱一杯おばあちゃんに送ってくれたそうです。初めて見る手芸用品に戸惑いながらも本を見ながら一つ一つ作り、作った物を回りの人たちにあげるととても喜ばれ、それからは年金を頂く度に自分で手芸用品を買いリハビリのつもりで作っては回りの人たちにあげているとか。
部屋は二人部屋で、もう一人の方は、おばあちやんより二歳年上の方で、人の手を借りないと生活ができないので回りの人は「よく世話をしているね」と言っているそうですが「これが私の二年後の姿かもしれないもの。そういう気持で一緒にいるのよ。出来る事をしているだけよ。そうそう、この間県立医大の"しらぎく会"に入ったの。娘たちは反対したけど一生懸命話したら印を押してくれたわ。こうして生きてこれたんだもの献体という形で医学の道に何らかのお手伝いができるんだから」と何の迷いもなく明るく話されました。
トントンばあちゃんに逢う度に私はいつも前向きに生きる事の大切さ、他人への思いやりや、それを楽しいと感じる心、感謝できる心を持つことを教えられて来ます。
私自身の生活の中で、かかわりある人々との出会いを大切にし、少しでも回りの方々に気配りのできるような人間になれたらと思っています。
(大熊町立大野幼稚園主任教諭)
旅から学んだこと
菊地奈々
私は旅が好きである。国内・外は問わない。様々な土地を訪れ、その土地の文化に触れ、多くの発見をする。そして自己を見つめ直す。この上ない快感である。
過去に、アメリカ合衆国を訪れ