教育福島0214号(1998年(H10)07月)-028page
「あの一言」で
上川俊之
私にとって、夏は吹奏楽コンクールの季節であり、同時に反省の季節でもある。
私が吹奏楽と出合ったのは、中学一年の冬であった。「人数が足りない」という理由で友人に誘われたのがきっかけであった。初心者ながら「いい音が出ている」と先生に褒められたのがうれしくて、勉強はそっちのけで練習した。部活動は毎日が充実しており、東北大会出場という最高の思い出もでき、その感動が忘れられず音楽の教師を目指すようになった。
私の最初の赴任地は、四月でも残雪が校庭にある喜多方市立第三中学校だった。あのときの私は、恥ずかしながら全く頼りない新米教師だった。授業中、生徒が勝手に席を移動したり、出歩いたりしていても、厳しく指導することができなかった。部活動も生徒の自主性が第一と、まずいと思うこともそのまま見過ごしてしまった。
そんな中、初めて指揮棒を振った吹奏楽コンクール。結果は支部大会銅賞。悔しさのあまり、生徒は皆泣いた。時を同じくして行われたNHK合唱コンクールも、演奏は散々。「耶麻で最低の合唱」と評され、生徒はまた泣いた。そのときの
「先生がもっとしっかりしてくれれば」
という一人の生徒の一言が私を変えた。「自分が中学時代に味わった感動と、全く正反対の思いを生徒にさせてどうする」と深く反省した。そのときから私は「鬼の上川」に変身していった。
そんな姿に反発した生徒もいたが、ほとんどの生徒は、授業にも部活動にも一生懸命に取り組み、自分たちの願う結果を出せるようになっていった。
現在勤務している桶売中学校は小人数であり、吹奏楽や合唱部はないが、何事にも積極的で根気強く取り組む生徒ばかりだ。表現方法は違うが、毎日の授業が生徒との真剣勝負である。音楽を一緒に創り上げることに生徒自身が楽しみを見いだし、自分たちの音楽に感動できるような授業を目指していこうと思っている。
今年、コンクールのステージで指揮をしている先生方の姿を見ながら、あの一言
「先生がもっとしっかりしてくれれば」
を思い起こし、教師として生徒の期待に応えられるように、日々研鑽を積まなければと、反省を深くしている。
(いわき市立桶売中学校教諭)
十三年ぶりの再会
内藤百合子
「名前が思い出せるかしら。もう私の顔など覚えていないんじゃないかしら」不安な思いで向かった十三年前の教え子の同級会。
十三年前、私は、それまでの小学校から中学校に転勤し、家庭科を教えることになりました。
初めての中学校は、戸惑うことばかりでした。特に悩んだのは、小学校との発達段階の違いです。一方的にグルーピングをしようとした私に、すぐさま、
「生徒の意見をきちんと聞いてください」
という反発の声。
しかし、しばらくすると、中学生の素晴らしい面もたくさん見えてきました。自分たちで考え、決