教育福島0214号(1998年(H10)07月)-036page
心に残る一冊の本
あと半分の教育
元福島市立福島第一中学校長
服部秀文
今から二十三年前ソニー教育振興海外視察研修(米国)で小学校の社会科である人間性探求のカリキュラムMACOSについて学んだ。このカリキュラムは、人間とは何かを問い、どのようにして人間らしくなったかを探り、もっともっと人間らしくなるには、どう考えどう行動したらよいのかを探求するものでした。
この学習に深い感銘を受けた私は、人間性探求の精神の一部でもと試みましたが、残念なことに生徒の問題行動が頻発し、その対応にエネルギーの大半を使う日々を過ごすようになってしまいました。
理想と現実の狭間で悩んでいたそんなある日、出会ったのが本書でした。
心を置き去りにした日本人「あと半分の教育」という表題でしたが、歯に衣を着せない語りで、戦後の教育の成果と問題点を探り、教育の真の目的を追求された井深理論であります。
特に、戦後は合理主義的な知的教育、効率や業績主義のような一方向的な目標に向かって猪突猛進した結果、経済大国となったが、見失った「あと半分の教育」即ち「人間をつくる教育」をおろそかにしてしまったことが現在の歪みを生んでいると強調しています。
人間性育成を考えながら、道徳の時間を教科指導に切り替えたことのある自分を恥つつ、人間をつくる教育の在り方について、必死に吸収して実践に移そうとしたことを昨日のように覚えています。
現在、中教審や教育課程審議会等で「生きる力」の育成「心の教育の在り方」等強調されていますが、いよいよ井深理論が実践に移されるように感じます。
人間をつくる教育に真剣に取り組まなければ、日本の将来は危ういと訴える、この平成九年改訂本を、じっくりと読み返して、自分が出来ることは何かを考えてみようと思っています。
本の名称: 井深大の心の教育
戦後教育が置き忘れた「あと半分の教育」
著者名: 元ソニー最高相談役
元幼児開発協会理事長 井深大
発行所: ごま書房
発行年: 一九九七年一月三十日
本コード: ISBN 4-341-01756-X
人はどう生きたか自分はどう生きているのか
会津坂下町立第一中学校教諭
田代新一
「外交官は自分の行ったことであとの人に判断してもらう。それについて弁解めいたことはしないものだ」
外交官として、中国、英国、米国等で活躍した後、昭和八年から外相、そして第三十二代首相となった広田弘毅は、東京裁判で戦争責任を問われたが、一切の自己弁護をせず、文官でただ一人死刑の判決を受け従容として死についた。
その広田弘毅の生涯を、城山三郎が鮮やかに描き出したのが、この「落日燃ゆ」である。
無欲で「自ら計らわぬ」生き方に徹し、左遷されても悠々とその境遇を受入れ役割を全うしていく。一度事が起こり重責を担わされようとその姿勢は変わらない。満州事変、上海事変、満州国建国宣言、五・一五事件、国際連盟脱退と激しい時代の流れの中で、持論の協和外交を貫き通そうと辛苦を重ねていくが、その努力は裏目裏目に出て、結局、戦争を止めることはできなかった。戦争を避けようと懸命に動いた人間が戦争を引き起こした人間として絞首刑の判決を言い渡されようとしている。
広田弘毅をよく知る周囲のものは、それを食い止めようと必死に彼への説得、裁判での弁護に動くが、当の広田弘毅は責任は自分にあるとして、裁判において一切自己弁護せず、自分の信念を貫いた。
広田弘毅の妻静子もまた、夫の覚悟を察知し、夫の未練を少しでも軽くしたいと死を選ぶ。それを知らされても広田は、獄中から妻へ手紙を書き続け、そして自分の死を静かに迎える。
この広田弘毅の生き方の是非を話題にしたいのではない。この作品を本棚に見る度に、私はただ、自分の生き方を問われるような厳しさを感じるのである。一生のうちどんな本との出会いがあるかわからないが、これは未だ心に鮮明に残っている作品であり、これからもそうあるだろうと思う作品である。
本の名称: 落日燃ゆ
著者名: 城山三郎
発行所: 新潮文庫
発行年: 一九八六年十一月二十五日
本コード: ISBN 4-10-113318-2