教育福島0214号(1998年(H10)07月)-037page

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「近世おんな旅日記」が伝えるもの

あさか開成高校須賀川校舎教諭

本多節子

 

徒達の課題であり、現在の研究の成果を知って伝えることは、私の課題である。

 

須賀川は芭蕉が一週間ほど逗留したことで知られる。平成六年に国語科の授業で市内の句碑めぐりをした折り、『須賀川という小さな街に有名な俳人達が訪れていたり、才能のある俳人がたくさんいたことを知り、うれしくなりました。その方達の功績をたたえる句碑は、立派な須賀川の名所であると思います』という感想を三年生の女子が残している。須賀川は近世には交通や商品流通の重要な宿駅であり、地方文化が豊かに育まれていた。須賀川の歴史と文化をよく学ぶことは、生徒達の課題であり、現在の研究の成果を知って伝えることは、私の課題である。

「近世おんな旅日記」は、「貴重な旅日記を掘り起こし、保存し、次の世代へ引き継ぐ」という信念と情熱に満ちた著者が、「一八〇点の近世の女性達の旅日記」を分類考察したものである。この作品の中には、「俳諧を楽しむ女たちは精神が新鮮でいきいきしていたばかりでなく、実生活においても行動的で、実にのびのびした人生を送っている。二、三の例をあげるならば、彼女たちが実生活の中でよく働き経済力も持っていたことや俳諧集を積極的に出版したり、よく旅をし交友を広めたこと」と紹介された須賀川の市原たよ女の業績もみられる。市原たよ女が『江戸上り』への旅をたったひとりで敢行したのは、四十八才のことであったが、「女たちが旅に出た年齢は統計上は圧倒的に五十代が高い数字を示す」という。封建制度の中で、女性の自立は希薄かと考えられる時代に、俳諧修業の旅を実践したのは、たよ女ひとりでなかったことを知らされる。

著者は、「実態の中から人間の生き方を学びたい」と綴る。このことは、『郷土の俳人の生き方をよく知って、今後の自分の生き方をよく学ぶ』この学習目標を明確にした点で、今もなお、私と生徒にとって忘れ難い一冊となった。

 

本の名称: 近世おんな旅日記

著者名: 柴桂子

発行所: 吉川弘文館

発行年: 一九九七年四月一日

本コード: ISBN 4-642-05413-8

 

蓮如上人作

教育庁福利課主事

渡辺隆嗣

 

「これは少年少女たちのために書かれた空想的な物語りです。」

 

「これは少年少女たちのために書かれた空想的な物語りです。」

これが『蓮如物語』の作者五木寛之さんの言葉です。しかしながら、子どもだけでなく大人が読んで心に残る作品であり、まさに私にとってはこの項目どおり「心に残る一冊の本」となりました。

やしょめ やしょめ

京の町のやしょめ

この言葉で始まる唄は幼い蓮如少年が母親から教えられたものであり、生涯を通じてうたった唄であり、蓮如の教えでもありました。この唄の意味はここでは書きませんが、ぜひ一度読んでほしいと思います。この唄を読む(聞く)だけで、私の中にはその頃の情景が浮かび、自分もいっしょに蓮如上人の唄を聞いているような気分になってきます。また、この本を読み終えると単に感動したとかではなくて何となく心が洗われた気がしてきます。この「何となく心が洗われた」ということが大事なのではないかと私には思えるのです。

この物語は蓮如上人の幼年からはじまり、八十五歳でなくなるまでのお話です。その中でも中心になっているのは、生母との別れであり、それ以後の生母への思慕です。蓮如は大人になり蓮如上人として日本全国で有名になり多くの人々が慕ってきました。しかし、どんなに年を重ねても母への思いは消えることがなく、また、死ぬまで母の残した言葉どおりに生きてきました。何となく悲しい気もするし、ほほえましい気もします。こうした話を聞くだけでも先述のとおり「何となく心が洗われた」気がするのです。

私はまだわずかの期間しか生きていませんし、それ程多くの本を読んだともはっきりいっていえません。しかし、本を読んでこのような気持ちになったのは初めてだと思います。ぜひみなさんも一読して私と同じ気持ちを味わってほしいと思います。

 

本の名称: 蓮如物語

著者名: 五木寛之

発行所: 角川書店

発行年: 一九九七年十一月二十五日

本コード: ISBN 4-04-129428-2

 

 

 


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