教育福島0215号(1998年(H10)11月)-029page

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さった。私はすごく嬉しくなって“頭が痛い”なんて事を忘れて、吐き出すように母親への不満を話したのだった。私の母は、その当時、仕事が忙しく、甘えん坊の私は、母にかまってもらえないことを随分不満に思っていたのだった。頻繁に保健室通いをする私を診て、(何かあるな)と感じたT先生は、その時間を利用して、健康相談をしてくださったのだ。私はその一時間、思う存分話しを聞いてもらったお陰で、心の安定を取り戻し、それからは保健室通いもめっきり減り、元気に過ごすようになった。後から母に聞いた話だが、その後しっかりとT先生は私の母に手紙をくださり、私の気持ちを母に上手に伝えてくださっていたのである。

あの時“弱っかす”になっていた私に、もしT先生が「しっかりしなさい。甘えてはいけません」なんて厳しく接していたら、もしかしたら私はどこにも気持ちをぶつけることができず、情緒不安定な毎日を送っていただろう。ひたすら親身になって私の不定愁訴を受け入れてくださった先生のやさしさが私を救ってくれたのである。

今日もまた"弱っかす"になりかけた子供たちが、保健室を訪れ私にいろんなものを吐き出していく。たまに叱ったりする時もあるが、基本はその子供の"弱っかす"を愛情をもって受けとめてあげることと自分にいい聞かせ、あの時のT先生になりきる私である。

(南郷村立南郷中学校養護教諭)

 

教員になって

佐々木潤子

 

夢中で過ごしてきた半年は、今振り返るとあっという間の出来事に感じられる。

 

学生のころから目指していた教員の道に入って半年余りが過ぎようとしている。無我夢中で過ごしてきた半年は、今振り返るとあっという間の出来事に感じられる。

四月、これからの教員生活への期待と共に不安も抱えながら子供たちの待つ教室に入った。笑顔の絶えない、元気な子供たち。始めての事ばかりで余裕のない私に、次々と話しかけてくる子供たちに四苦八苦しながらも、子供たちに受け入れられたという安堵感をもったことを覚えている。また、学校の事については私よりも先輩である子供たちは、私にいろいろ教えてくれた。

このようにして、私と子供たちの二人三脚とも言えるような学校生活が始まった。私も精一杯なら、子供も精一杯私にぶつかってくるという充実した日々である。

しかし、子供たちと生活していると、いつもにこにこしてばかりはいられない。私が担任している三年生というと、善悪の判断はある程度ついていても、ついいたずらをしてしまったり、相手が傷つくような言葉を発してしまったりして喧嘩になることが日常茶飯事である。そうなると、心を鬼にして厳しく注意しなければならない。教師と子供という上下の関係ばかりではなく、時には友達のように気軽に話したり、一緒に遊んだりという子供との関係を望んでいた私にとって、子供を注意することはつらいことであった。何か子供たちと離れてしまう気がして、常に心の中に葛藤があった。

しかし、子供たちは、私が思っているほど子供ではなかった。注意されたからといって離れていくことはないし、むしろ、いけない事をしたら注意し、良い事をしたらほめる私を見て自分たちの善悪の基準を築き上げていたのである。このことに気付いたのは、その基準を基にして、子供たち同士が注意し合っている姿を見た時である。このことにより、子供たちの模範として自分の言動に責任をもつことの重要性を実感した。

教員生活は、まだ始まったばかりであるが、たいへん充実している。先輩の先生方からのアドバイスを自分の宝物とすると共に、自分から多くのことを学び、日々成長する教師になりたいと思う。

(浪江町立浪江小学校教諭)

 

 

 


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