教育福島0215号(1998年(H10)11月)-028page

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いろり端の効用

橋本英子

 

ニ同時にどっと押し寄せる。汗々々の額の中に、A子の額も混じるようになった。

 

先生!保健室に行って来ていいですか。差し出したA子の指先に少し血がにじんでいた。急いで出席簿からバンドエイドを取り、指に巻いてやった。うわあ!すごい!いつも無表情で一人離れているA子が、こんなに感情を表に出すのは珍しい。しばらく出席簿を眺めながら、その指を曲げたり伸ばしたりしていた。私の出席簿の裏表紙の内側には、バンドエイドとビニール袋がはってある。ビニール袋は、過呼吸対策。幸い出番は少ない。初夏のテニスの授業。校舎から離れているテニスコートの藤棚は、生徒たちのオアシス。休憩の笛と同時にどっと押し寄せる。汗々々の額の中に、A子の額も混じるようになった。

二学期に入り、今年も小論文の指導が始った。看護医療系の担当である。臓器移植、環境ホルモン等テーマは広い。B子は、看護婦になりたいと言う。私はそばにイスを一個置いてある。生徒たちとの話は、横並びの方が落着く。久し振りに会うB子は、ちょっぴり大人に見えるが顔色が冴えない。どうかした?急に顔がゆがんだと思ったら、大粒の涙が流れ出した。ティッシュペーパーを箱ごと膝にあずけた。やがて勢いよく鼻をかんだ。もう大丈夫と笑顔が戻った。

教科書も使わず、かたくなな心の傷まで治療してしまった出席簿。座っただけで胸底まで洗い流してしまった横並びのイス。こんな幾つかの小さなこだわりを私は、ひそかに「いろり端の効用」と名付けている。かつて、いろり端では、親が子に人生を語り、生きる知恵を伝えた。三十代半ばに、社会教育主事として地域を歩いた時、幾度も肌で感じたその歴史を、肝に銘じてきた。

人とのかかわりを持たないテクノ症候群と言われている若者たちは、ポケベル、携帯電話に「いろり端」を求めているようで心が痛む。炉端には夢がある。暖かい眼差しがある。いろり端は誰でも創れるが、灯をともすタイミングは、木々への優しさにあることを退職を迎えようとしている今、生徒たちから学んだような気がする。

今日も机の上に、折紙が置いてあった。開くとC子の手紙。もう半年以上届いている。C子は、保母さんになろうと頑張っている。

(県立安達高等学校教諭)

 

弱っかす

馬場夏江

 

私は、自分の“弱っかす”のおかげで今の養護教諭という職業に就いた。

 

私は、自分の“弱っかす”のおかげで今の養護教諭という職業に就いた。

小学校時代、本当によく保健室に通ったものだった。気持ちが悪い、頭が痛い、お腹が痛い。休み時間のたびに訪れる私を、養護のT先生は、いつもやさしく迎えてくださり、笑顔で話を聞いてくださった。チャイムが鳴ると私の症状はどっかにいってしまい、元気に教室に戻るという繰り返しだった。今思えば、あんなに毎日保健室に通って、先生も忙しくて相手をするのが大変な時もあったことだろう。しかし、いつも変わらぬやさしさで私を癒してくださっていたのだった。

私はそんなある日、いつものように「頭が痛い」と言って保健室を訪ねた。先生は、私に「一時間先生とお話しよう」と言ってくだ

 

 

 


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