教育福島0216号(1999年(H11)01月)-023page

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随想

 

日々の想い

 

ずいそう

 

生徒から学ぶ

 

鈴木太

 

後になると、嫌々ながら生徒たちの練習風景を眺めているだけの毎日であった。

 

郡山の中学校に新採用として赴任し、ソフトテニス部を任されたのは十数年前のことである。ラケットも握ったこともない私が、よりによって女子ソフトテニス部の顧問を任されたのである。技術指導などできるわけがなく、放課後になると、嫌々ながら生徒たちの練習風景を眺めているだけの毎日であった。

二か月後に行われた中体連地区大会は惨たんたるものであった。初日の予選の結果はすべて負けであった。負けたのにもかかわらず、少しも悔しさは込み上げてこなかった。二日目の個人戦も無惨な結果に終わり、決勝戦も見ずに学校に戻ってきてしまった。学校に着くと、三年生数名が私の前に走り寄ってきて、「お世話になりました。ありがとうございました」と涙ながらに言うのである。その姿に私は唖然としてしまった。指導者らしきことを何一つできなかった私にとって、予期せぬ言葉だったからである。驚きと同時に、感謝されるに値しない自分に対して情けない気持ちで一杯だった。三年生の彼女たちにとって、この大会は大きな意味をもっていたはずである。彼女らの意欲に応え、持てる力を十分に引き出せなかった私は、感謝に値する教師ではなかった。私は生徒たちに謝りたい気持ちで一杯だった。

その出来事があってから私は、テニスの指導書を読みあさり、他校の練習を参考にしながら自分なりの指導法を模索していった。真に「ありがとう」に値する教師になるために。

あれから十数年が経つ。相馬地方中体連のソフトテニスの専門委員長などをしている私の今の姿をあの時の子供たちは想像できないかもしれない。

先日、団体の選手として活躍している教え子から電話があった。国体で活躍できるまでになった自分があるのは、私との巡り会いのお陰であるという感謝の電話である。十数年前に郡山の生徒たちに「ありがとう」と言われた時の自分と比べると、素直に相手の気持ちを受け入れることができるようになった。

教職というのは、生徒の姿から課題を見い出し、生徒の姿から答えを見つけ出す努力をする仕事ではないかと思っている。

(相馬市立中村第一中学校教諭)

 

心創形 形従心

 

木村哲也

 

いがあったからである。私はその先生から人間としての生き方を教えて頂いた。

 

私は中学から卓球を始め、中学、高校、大学と選手生活を続けてきた。そして、小高工業高校に初任者として赴任してからは卓球部の顧問をさせて頂いている。小高工業に勤務して五年目になるが、長い間、卓球に携わってこられたのは、ある卓球の指導者との出会いがあったからである。私はその先生から人間としての生き方を教えて頂いた。

私は中学時代からその先生の指

 

 

 


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