教育福島0216号(1999年(H11)01月)-024page

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導を受け、いろいろなお話を聞かせて頂いた。先生の言葉の中で一番最初に印象に残っているものは、「遣気があって、質の高い練習内容を行い、それに時間をかければ、目標は必ず達成できる」という言葉である。遣気があるものの集団、研究の中から生まれた質の高い練習内容、自分の限界に挑戦する練習時間、この三つが物事を行うためには必要であると教えて頂いた。私はこの考え方を基本として生活している。そして、自分の生徒にもそのように教えている。

次に印象に残っている言葉は「どうせやるなら、世界チャンピオンを目指せ」という言葉である。今でもはっきりと覚えているが、この言葉は中学二年生の冬休みに話して頂いた言葉である。当時、県レベルのことしか頭になかった私には衝撃的な言葉であった。今になって思うが、その時、先生は本当に世界チャンピオンをつくるという目標を持ち、それに向かって行動していたと思う。だからこそ、強く私の心に残っているのだと思う。この言葉は私の生活の活力になっている。

先生の言葉の中で最も印象に残っているものは「心創形 形従心(シンソウケイ ケイジュウシン)」という言葉である。この言葉は先生自身が造られた造語であり、心は形を創り、形は心に従うという意味の言葉である。何事も一流になるためには心を創ることが大切であるということを言っている言葉である。今、私はこの言葉の意味を考えながら、日々、卓球部の生徒の指導に励んでいる。

私はこれからも先生から教えて頂いたこの「心創形 形従心」という言葉を卓球をとおして生徒たちに教え、生徒と共に心を創っていきたい。

(県立小高工業高等学校教諭)

 

一言の力

 

鈴木倫子

 

「お願いしま〜す」

 

「お願いしま〜す」

今日の授業開始の挨拶は、半数ほどの生徒の声が聞かれた。入学当初は代表者と私との交換だったのが、近頃急に声を出してくれる生徒が増えた。

うれしいなぁ、とだれにともなく返すと、反応は様々−−ニコッと笑み返す者、当り前のことだろうと大人ぶってみせる者、驚きを示す者  。

声を出す、言葉を発するということは、体と心の解放であり、四十人の集団の中では、場の緊張具合に大いに関係する。小心者の私は、生徒の発声状態に救われて授業をしているようなものだ。

夕方の町に出ると、買い物客で慌ただしい。おやっと不気味さを感じる。挨拶がない。レジ係の決まりきった言葉が虚ろに響くのみで、応じる声がどこにもない。やがて、私の計算が終わる。

「お世話さま」

と、釣銭を受け取ると、慌ててもう一度ペコッと腰を折った。予想していなかった状況に一瞬対応を迷ったという風である。返事が返ってこないことを前提として挨拶をくり返しているのは、どんな気持ちなのだろう。

珍しく高速道路を走った。料金所で、お世話さま、と言ったら、

「お気をつけて」

と、やさしい声が届いた。自然と安全運転になってしまう。

そのようなことを考えていた折、母が旅行から帰ってきて、バスガイドの話になった。

「そう言えば、ベテランのガイドさんにはめったに会えなくなったね」

という言葉から、職業に対する自信や誇り・喜びということに思いを話した。かつては、客がありがとうという言葉を掛けるのは極自然だった。その言葉に支えられて、ガイドさんも仕事に喜びと誇りを感じていただろう。

現在、自分の職業に誇りを持ち難くなっている。「ありがとう」という言葉掛けがなくなって、逆に非難が多くなっているためではないだろうか。

春にはまた、社会の一員として役立ちたいと思って仲間入りする若者が増える。そのような人にとって、「ありがとう」の一言は、何よりの力になり、職業への誇りにつながるに違いない。

(県立本宮高等学校教諭)

 

 

 


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