教育福島0216号(1999年(H11)01月)-025page

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親孝行するのに

 

大原正義

 

「こらー、何やってるんだ」

 

「こらー、何やってるんだ」

大きな声が響きわたると同時に泣き声が聞こえた。兄が祖父に叱られたのである。何をして叱られたのか、幼かった私には分からなかったが、兄は荒縄で縛られ柿の木の幹に括られたのである。

男三人兄弟の末っ子である私は兄たちには逆らえず、用事を言いつけられたり、嫌な思いをさせられたこともあったが、一緒に隠れんぼをしたり、キャッチボールをしたりして遊んでくれる弟思いの兄が好きであった。しかし、その時は恐ろしさの余り縄を解きに行くこともできなかったことを覚えている。

私の生家は、残飯を飼料として養豚を営んでいた。父母や祖父は少しでも生活を楽にしようと豚の世話を遅くまで行い、身体中に仕事の匂いを染み込ませ家に戻ってくる。一風呂浴び、一日の疲れをほぐした祖父や父が茶の間に戻りようやく一家団らんの時となる。父が口癖のように言っていたのが

「豚は汚い動物ではない。汚くしているのは人間だ。飼っている人間の姿が現れているんだ」であった。また、祖父は「厠を見ればその家が分かる」とも言っていた。何気ない食事の時の会話の中で、責任を持って仕事をすることや常に他人を思いやる心を持つことを教えていたように思われる。

明治生まれの祖父は頑固であった。初孫の名前は、自分の名前の一部が上で父親のものは下でなければいけないと言い張り、周りの意見は聞き入れなかったという。このためか、今でも兄は名前から三男と思われることが多い。

しかし、スポーツマンで体格の良かった頑回者の祖父も病魔には勝てず、私が小学校五年生の時に病床に着き、人が変わったように優しくなった。病床での最後の言葉が

「親孝行するのにお金はいらぬ。言葉優しく丁寧に。ああ、ドントコイ、ドントコイ(どんと子いいどんと子いい)」であった。

心と心のキャッチボール(相手を思いやり、取りやすいように)をすることが大切であるという祖父の教えは、今なお、私の心の大きな支えとなっている。

(教育庁スポーツ健康課指導主事兼学校体育係長)

 

父ヘ

 

高笠トシ子

 

わが母を焼かねばならぬ火を持てり天つ空には見るかげもなし

 

わが母を焼かねばならぬ火を持てり天つ空には見るかげもなし

山形県上山市に誕生した斎藤茂吉が、実母の死を悼み詠んだ歌集「赤光」の"死にたまふ母"は、まさしく絶唱であり魂が揺り動かされる。十年程前に茂吉の歌に魅せられ教材化しようと上山の記念館を訪ねた。館内には、生前、茂吉が自らの歌を詠んだテープが流れていた。晩年であるにもかかわらず、故郷のなまりが残っている哀切を帯びた声が今でも耳に残っている。

しかし、この茂吉の母を想う心情を本当に理解できたのは、私もまた父の死といった身近な体験をしてからだ。父は五年前、肝臓ガンを患って六十三歳で亡くなった。病が発見されたのが初秋であり、亡くなるまでの半年間の闘病生活は家族にとっても苦しかった。

当時、会津若松市にある中学校で高校受験を控えた中学三年を担任し、休暇をお願いできる状況ではなかった。看護は年老いた母があたってくれた。私が父に感謝しているのは、父は病弱で生涯苦労し続けた農夫であったが、私を丈夫な体に生み育ててくれたこと、そして誠実以外何のとりえもなかったが、ひとつぶ種の私のために最期まで力をふりしぼって生きてくれたことである。三月十三日の卒業式。前日、夕方から父が危篤状態に陥った。校長先生に電話をかけて休むしかないと覚悟したが、明け方意識をようやく取り戻した。迷惑をかけられない一心で父は生きたに違いない。晴れの門

 

 

 


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