教育福島0216号(1999年(H11)01月)-027page

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のである。そのうえ、研究指定校に勤務したこともない。大きな壁がいくつも立ちはだかっているのが分かっていた。重圧におしつぶされそうになった。

四月一日。新しい組織での現職教育研究が始まる。開き直りの気持ちで前向きに取り組んでみようと思った。だめでも何でも、やれるだけやってみよう。分からなければ勉強すればいい。それでも分からなければ聞けばいい。緊張と不安、期待の入り混じった複雑な思いであった。

まず、生活科の指導書を熟読した。文部省が出している指導資料など、手持ちの資料を中心に読みあさった。そして、本屋や図書館に行き、本を探した。ニフティサーブやインターネット、先進校の研究紀要などから情報を集めた。

また、教職員の研究物展に作品を出されていた先生の学校に出向き、お話を伺った。その学校で、以前より存じ上げていた校長先生と指導員であり研究物展に出品された先生のご好意で、お忙しい中ではあったが、ご指導まで頂くことができた。実にありがたかった。

様々な情報や資料をもととして研究計画を立案し実践してきたが、研究授業が一つ終わるたびに山ほど反省点が出る。その次の研究授業には別の反省点が出てくる。つまり、失敗だらけであった。

研究の推進委員会や全体会などでは、新しい案を出しても不備であったり、先生方への情報不足であったりして話し合いが煮詰まらず時間だけがただ過ぎていった。そんなことの繰り返しであった。研修主任として、まだまだ勉強不足であったと痛感した。

迷惑のかけどおしではあったが、本校はもとより他校の多くの先生方に支えられ、励まされ、研究公開を無事終えることができた。

県内各校にいる研修主任の中でも、失敗だらけのどうしようもない研修主任ではあったが、公開を終えた後の充実感はひとしおであった。

(大玉村立玉井小学校教諭)

 

初任者一年目、私の想い

 

鈴木美由紀

 

えていない。ただ、担任の先生にあこがれ、先生の姿ばかりを追いかけていた。

 

教師になりたい。どうしてもなりたい。そう思い始めたのは、小学生の時だった。何がきっかけであったのかは覚えていない。ただ、担任の先生にあこがれ、先生の姿ばかりを追いかけていた。

そして、今年四月、私は夢を現実のものにした。三月まで大学生だった私が、一週間後にはわけも分らないまま檜沢小学校に着任した。夢は現実となったが、夢に浸っている間もなく、始業式までに学年だよりの作成や時間割編成などいろいろな仕事に追われた。

着任式で子供たちに初めて対面し、檜沢小学校の校歌を耳にした時には、教師になった実感と喜び、今後の教員生活への期待と不安で体が震えたのを今でも覚えている。

あれから半年が過ぎた。振り返ってみても、とにかく夢中になって授業や学級経営を行ってきたとしか言えない。学校生活の一年間、一か月、一日の流れも見えないまま、気が付けば時だけが刻まれていった。

夢と現実との大きな差に愕然とし、いつも緊張し続けている私の心の糸がふと切れてしまい、弱音をはいてしまった時、「教師になれたということだけに満足しているのではないか」という弟の言葉が今でも胸に突き刺さっている。私は、その言葉で次の目標を失ってしまっている自分に改めて気付かされたのである。

私は大学で理科を中心に学んできた。それは、教師になって、理科離れをしている子供たちに一人でも多く理科を好きになってほしいという思いからであつた。小学生のころ、理科の時間にプラネタリウムを作り、教室いっぱいに星空を映しだし、星の学習をしたことで、理科が好きになった私なので、今の子供たちにも同じような体験をさせたいと思ったのである。

初秋のころ、理科で自然観察をしていた時、一人の女の子が槍沢の山々を見つめながら私に言った。

「これから、先生が今まで見たこともないような美しい紅葉が見られるんだよ」

この言葉を耳にした時、私は、目の覚める想いがした。こんなにも豊かな感性を持つ子がいるという

 

 

 


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