教育福島0216号(1999年(H11)01月)-029page

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い宮城県の小学校に、私は福島市の幼稚園に勤め、離れていても心の通じ合う友達になっていた。

年号が平成に改まる前の年、良き伴侶に恵まれた彼女は、出産を間近に控え、私は小学校の採用試験を受け、無事一次試験に合格した。それを我がことのように喜んでくれた彼女は、体調がすぐれないのにもかかわらず、頻繁に手紙で「二次試験、絶対大丈夫だよ」と励まし続けてくれた。早く会いたいとも書かれてあった。

そして、出産の一週間前、「産まれたら福島に会いに行くから、試験頑張って」と書かれた手紙が届き、私も早くあなたと赤ちゃんに会いたいと書いて送った。話したいことがたくさんあった。けれど、それが最後の手紙になった。

彼女は出産の二日後、愛娘を抱くこともなくこの世を去った。小春日和の、まるで彼女のように美しい日、重く苦しかった体を捨てて空へと帰っていった。

あれから十年。小学校の教師として子供たちと向かい合う毎日。喜びは二倍に、悲しみは半分にしてくれる友達の大切さを話すとき、いつも彼女が心の中にいる。そして、この世でとめどなく繰り返される苦しみや悲しみやいさかいも、命あってのこと、ほんの些細なことにも思われてくる。

(いわき市立田人第一小学校教諭)

 

子供たちと共に

 

小林久美子

 

笑顔で言葉を交わし、安心して保育室に戻って行く。いつもの朝の光景である。

 

「おはようございます。S先生いますか」今日もN子は舌たらずの言葉で職員室に顔を見せた。N子は先生の姿を見ると一層その愛くるしい笑顔で言葉を交わし、安心して保育室に戻って行く。いつもの朝の光景である。

担任のS先生は新採用二年目の先生である。十九名の園児の心をしっかりとつかんで、若さと情熱で保育にあたっている。身体ごとぶつかっていく保育が子供たちにも伝わるのだろう。

私が幼稚園の先生にと思い始めたのは確か中学生の頃だったと思う。「おかあさんといっしょ」の歌やお話のおねえさんに憧れたのだ。スタジオに来た子供たちと歌ったり、動いたりする姿がとても楽しそうに思えた。あの頃思い描いた希望が叶い、こうして幼稚園に身を置くことが出来て感じることだが、やはり子供は私の夢を裏切らなかったと思うのである。

しかし、私自身はどうであっただろうか、いや、どうであろうか。私には園児の中に、必ずしも理解できていない、心が通い合えていないなと思う子がいるのである。

M子もこの間までそうであった。ある朝、どこからともなく犬が来て、登園して来る子供たちを怖がらせているので、私は「知らない犬に手を出してはダメ」注意をしていた。しばらくして行って見ると「いぬにきをつけて」等と書いた紙をM子が真剣な顔つきでガラス戸に貼っていた。

無事降園の時刻を迎え、私はM子に「今日はありがとう。だれも咬みつかれたりしなくて良かったわ」とお礼を言って降園させた。

その後、M子は自分の方から笑顔を見せるようになり、とっておきの話として、家で飼育し始めたハムスターの様子を私の所に来て話してくれるようになった。

私は、あの子は理解しにくい、とらえにくい等というのは、保育者の思いあがりではないかと深く考えさせられた。幼児を理解する、内面を読みとるということは、人として真正面から、その子に『心を寄せる』ことなのだとあらためて強く感じた。これからも子供から教えられ、学んでいくとともに、私も、自身のつたない生き方を子供にぶつけ、幼児と共に生活する者としての姿勢を持ち続けていきたいと思う。

(郡山市立熱海幼稚園主任教諭)

 

 

 


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