教育福島0216号(1999年(H11)01月)-038page

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

心に残る一冊の本

 

植物と人間

−−生態学者からの警告−−

 

(財)福島県自然の家専務理事

兼相馬海浜自然の家所長

 

国井輝夫

 

三十代に読んだ本でその後も心に残る本として「植物と人間」を紹介したい。

 

三十代に読んだ本でその後も心に残る本として「植物と人間」を紹介したい。

作者は著名な生態学者で、人間も自然界の一員として生物圏すなわち生態系の中でしか生きていけないという当たり前のことであるが、それがどういう意味を持つのか具体的な事象を通して論じている。

植物の重要性は生態系の物質循環を考えていただければ理解できると思いますが、その植物群落は環境に規制され、植物群落に最も不足する制限条件にすべて支配されること、群落の内因的規制においては競争と共存(一体である)、我慢、各要因が相互に関連しあっていることである。

一方生態学の面から空間的な秩序と時間的にみた遷移、代償植生としてとらえることができ、我々がよく見かけるマツは原植生ではなく二次植生であること、またジャングルは本来の植生とは違い変化の途中であること等面白い指摘をしている。

更にこれら植物に対する様々な環境条件は互いに関連しながら総合作用として影響しあっている。従って我々の環境保全も対症療法的にでなく総合的に捉えなければならないとしている。

私は当時県の長期総合計画の策定に携わっており自然保護の必要性を漠然と感じていたがこの本でエコロジカルな視点からの理論的支柱を得たしだいである。

著者は歴史的考察もされており、ヨーロッパ文明の中で破壊され尽くされた自然が漸く復元され今日の緑豊かな森林を見るに至った経緯等にもふれている。

これらのことから、生態学者は鋭く、次のように言い放つのである。「人類の最も愚かなことは、自然や生活環境を破壊して衰退し、滅亡した他の民族の過ちや失敗の例を決して学ぼうとはしない。自分たちも悲劇の奈落に陥るまではおなじ失敗を何回も繰り返す」

(デモル・一九六〇年)

 

本の名称:植物と人間

著者名:宮脇昭

発行所:日本放送出版協会

発行年:一九六七年三月二十日

本コード:ISBN 四-一四〇〇一一〇九-二

 

雪降る頃に思う

 

田島高等学校教諭

 

松田優之

 

青菜を洗う光景、その記憶をもとに答えたのだが、今では恥ずかしい思い出だ。

 

小学校4年生の社会の授業で、雪国の暮らしを学んだ。雪国の生活を載せた教科書の記事や写真を見せながら先生は、こんな質問をした。「これ程雪深いのに、雪国の人たちは冬の間何を食べているのか」私は自信満々と、「菜っ葉を食べていると思います」と答えた。クラスは笑いの渦に包まれた。テレビで観た記憶から答えたのだが。雪深い山里の小川で、女性が手を真っ赤にして青菜を洗う光景、その記憶をもとに答えたのだが、今では恥ずかしい思い出だ。

埼玉から福島へ来て六年、田島町に来て三年、雪にはまだまだ慣れないでいる。除雪された雪が壁となる時もある。想像すらできなかった。田島高校に赴任した年のこと、ある先生から只見と田島を舞台にした一編の小説『只見川』を紹介してもらった。ここ南会津が舞台となる小説があるのかと、さっそく読んでみた。

只見町で小さな理容店を営む岩男のもとに嫁いだ小雪。結婚してわずか二週間、夫が召集される。小雪十七の時である。出征して五年後、夫が帰って来る。

明日、田島駅に着くという電報をもらい、無理に田島へ行く雪上車に乗せてもらうが転覆し、小雪は死んでしまう。冬の駒止峠でのことだった。葬式の日、夫は死んだ妻と添い寝をする。

今、田島に住んで、只見、只見川、駒止峠、田島駅など、どれもこれもこの小説に出てくるものは良くわかる。(当然、時代背景など違うが)この土地にゆかりがあって、こんな悲しい小説があるとは。戦争のために引き裂かれてしまった二人であるが、このような夫婦は全国で幾組もあったろう。戦争さえなければとの思いを強くさせる小説だ。平和な社会を築く社会人を育成しなくてはならない我々に読んでおかねばならない小説かもしれない。私自身も、もう少し雪国の理解をしなくては。

 

本の名称:愛

著者名:曽根綾子

発行所:文藝春秋

発行年:一九七六年五月二十五日

本コード:ISBN 四-一六-七一三三〇三-二

 

 

 


[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

掲載情報の著作権は情報提供者及び福島県教育委員会に帰属します。