教育福島0216号(1999年(H11)01月)-039page
一人の人間に戻して
くれる手紙集
郡山市立郡山第一中学校教諭
桑名俊之
平成六年に話題を呼んだ「一筆啓上賞−−日本一短い『母』への手紙」の感動を再びと思い、平成八年、第二弾「家族への手紙」が出版されたのを知りすぐ購入した。
三、四行の短い作品に込められた多くの思いの一つ一つを味わって読んだ。
何も語らず、
何も釣れず、
ゆっくり流れる"時"が好き。
また釣りに行こうね、お父さん。
(兵庫県二十二歳女性)
ぽかぽか陽気の休日。日頃から互いに忙しい生活で会話などはほとんどしていない。でも、二人で釣り糸を垂れながら互いに心で会話をしている。このような様子が目に浮かび、読んでいる自分まで心が温まってくる思いがする。
もうやめようよ!
みんなで同じことばかり言って
ぼくがみるよ、おふくろの事
(石川県四十二歳男性)
よくある話だ。でも、ちょっと待てよ。こんな事がよく聞かれるようになったのは、つい、二、三十年前からではないか。私たちは人間として本当に大切にしなければならないことを忘れてはいないか。自問自答した。
息子へ
出来ることなら
いじめぬかれたあの一年を
あなたの人生から
消してあげたい
(愛知県四十歳女性)
胸が詰まる思いがした。あってはならない。許してはならない。教職の重みを再認識した。
この本は、時を移して何度となく読んでいる。読む度に、心に響く作品が変わる。でも、何度読んでも変わらない思いがある。それは、他人同士が結びついてできる家族が、愛情の原点であるということ。「次世代を育てる心を失う危機」と言われている今、人間本来のあるべき姿を、身をもって次世代に伝えていくのは誰かということである。
本の名称:日本一短い「家族」への手紙一筆啓上
著者名:福井県丸岡町
発行所:角川書店
発行年:一九九六年六月二十五日
本コード:ISBN 四-〇四-一九五七〇二-八 CO一九五
『横しぐれ』の思い出
好間高等学校常勤講師
蛭田雅則
一九九一年八月、『朝日新聞』の「窓」に、丸谷才一作『横しぐれ』がイギリスで文学賞を受賞したことを祝う文章が載った。それまで、丸谷才一という名を聞いたことはあっても、その著作に接したことはなかった。そこで、この作家がかつて教鞭を執っていた学校に現在自分が在学しているのも一つの縁だと思い、この作品を読んでみようという気になった。
先年、丸谷氏の『女ざかり』を交響楽のような作品だと評した評論家がいたが、この『横しぐれ』も同様で上品な室内楽と呼ぶにふさわしい中編小説である。また、知的推理小説の体裁を整えており、読者の知的好奇心を満足させてくれる。『横しぐれ』は、受験に失敗して文学科に入学していた私にとって、文学という学問領域の意義を示してくれたのである。私はすっかり丸谷作品の虜となり、氏の様々な著作を読み漁り始めた。
そうして数カ月たち、年も改まり十日程たったある日、大学の図書館はレポート締切前で混雑していた。そのような折、丸谷氏が来館しているという話を耳にした。私は、憧れの作家が今ここにいると思っただけで、いてもたってもいられなくなり、親しい職員の方にお願いして面会させてもらった。
丸谷氏は、その文章と同様に穏やかな雰囲気の方であった。そして、サインをして欲しいという頼みに快く応じてくれた。サインはもちろん『横しぐれ』にとお願いした。その日は機嫌がよかったらしく、最近詠んだという句を書き込んでくれたのであった。
猿の本読むやなゝめに
寝正月 玩
この句は、後年、丸谷氏が古稀を祝して出版した『七十句』にも採録されている。
本との出会いで経験できる最上の幸せを『横しぐれ』は与えてくれたのである。
本の名称:横しぐれ
著者名:丸谷才一
発行所:講談社
発行年:文芸文庫:一九八九年十二月二十六日
単行本絶版:一九七五年三月八日
本コード:ISBN 四-〇六-一九六〇六五-二