教育福島0217号(1999年(H11)02月)-024page

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小さなカニ。みんなに見せると、そっと川に戻した。ほかの子がその前をドヤドヤと横切り、石をひっくり返し始めた。

「だめだよ。上の方(川上)をめくると流れが変わったり、濁ったりして、住みにくい川になる。生き物を採るときは、回りの様子を変えるもんでないんだって」

と、女の子は、じいちゃんから聞いたことを教えようと叫んでいた。

何と大事で、すばらしいことだろう。しばし感動してしまい、私も、そっと堀から上がった。

先日、文部省が「体験」調査をしたところ、日没や夜空の美しさすらじっくり見ていない子供たちの姿が明らかになり、話題になった。自然の中での体験からすばらしい美しさを感じ、ある時は驚き感動し、畏敬の念もわくであろうに。残念ながら私たち大人もこの体験が不足してはいないだろうか。

以前、「響き合う父と子、大江健三郎と息子・光」の放映を見て、私たち教育に携わる者としての姿、一親としての姿を学ぶ機会があった。光さんの言葉の成長のきっかけとなったのは、小鳥のさえずりへの反応を見抜いた父が、多くのさえずりを聞かせてやったことだと言う。好きな音楽に、どっぷりつからせてあげたことが、今の光さんとすばらしい作曲能力を育てていることを……。

子供のそれぞれの興味を見抜き、興味あるものに、十分ひたらせて体験させ見守る時間的余裕と心の余裕をもちたいものだと思い、いろいろ反省してしまった。自然や子供からも、今後も学んでいきたい。

(桑折町立陸合小学校教諭)

 

ちょっと待てよ

湯田透

 

ょっと待てよ、あれでよかったのかなと思い起こすようなことが幾つかあった。

 

最近、ちょっと待てよ、あれでよかったのかなと思い起こすようなことが幾つかあった。

一つ目は、卓球部の練習中のことである。ふざけながら練習していた新入部員が、私にきちんと練習するようにと注意を受けたあと、ドタバタとわざと大きな足音を立てながら戻っていった。そこで、再度厳しく注意をした。しかし、二度目の注意をしたことを、今は後悔している。

それは、体育の授業で校庭を走っているその子の姿が、驚いたことに何回見ても、あの時の戻っていく姿にそっくりだったからである。さらに、選手壮行会のとき、拍手とリズムがどうしても合わず、恥ずかしそうにしている様子を見たからである。早く戻りたい気持ちと運動能力の低さが、あんな態度につながったのかとも思う。

今までの自分の経験だけを頼りに、生徒の表面的な行動を勝手な思い込みで指導してしまったのではないかと反省させられた。

もう一つは、郡中教研の授業を参観するためにある中学校へ行ったときのことである。掲示物の中に道徳の授業で使用した資料があった。その資料は、卓球大会に参加して一生懸命頑張ったけれども負けてしまった生徒の作文で、試合後ベンチに戻った対戦相手が、「たいしたことなかったな」と話したという内容であった。そのときから、その言葉が頭から離れなくなった。それは、その資料を見たとき、とっさに自分の学校の生徒が言ったのではないかと疑ってしまったからだ。

さらに、よく考えると、この言葉を言った生徒を安易に注意することはできないのではないかと思えてきた。この生徒も、自分の練習してきたことを試していたのだろうし、初めての試合で緊張していたのかもしれないからである。どちらの生徒も、一生懸命取り組んだ結果なのである。

子供たちのちょっとした一言や態度には、それなりの意味がある。もしかしたら、教師には簡単に理解できないことが隠されていることもあるように思う。

私は、子供たちのちょっとした言葉や表情、変化をよく観察して、本当の子供の心を見つける努力をしたいと思っている。

(伊南村立伊南中学校教諭)

 

 

 


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