教育福島0217号(1999年(H11)02月)-025page

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習うより慣れろ

平井正巳

 

に高校生のころは英語が急に難しくなったような気がして随分と苦労しました。

 

私は今、英語教師として中学校の教壇に立っていますが、正直言うと学生時代は英語が得意ではありませんでした。特に高校生のころは英語が急に難しくなったような気がして随分と苦労しました。

教職への道は平たんではありませんでした。大学は法学部を卒業し、そのまま公務員として働く傍ら、教職を目指して夜間の英文科に通いました。学士入学だったので二年間で卒業可能だったのですが、四年かかりました。大学のほかに英会話学校にも通ったりしました。

念願かなって採用試験はパスしましたが、自分の英語に本当に自信を持てたのは教職に就いてからかもしれません。採用当時の私は授業のやり方も未熟で、授業の後あれこれ悩む毎日でした。「生徒はよく理解できただろうか。もっと生徒の活動を充実させることは出来ないだろうか」気がつくと頭の中で英会話の場面を繰り返していました。また、生徒のつまずきをなぞっていくうちに、日本語とは違う英語の構造が実感として分かってきました。これは机上の学問では得られない体で覚える感覚だと思います。

AETと協力して授業を行ったり、個人的にもつきあいを深め、一緒にスキーにも行ったりして、実戦で英語を使ったことが英語の本当の実力につながったように思います。

また、教職に就いた年、余暇の時間を利用して「福島県学校レクリエーション研究会」の門をたたきました。かつての私は人前でおどけたり、人を笑わせ、楽しませたりするようなことをするタイプではなかったように思います。研究会で習ったゲームを一つ、二つとやってみるうちに、だんだんとコツをつかみ、生徒が笑顔でこたえてくれることで自信もついてきました。この笑顔はやってみなければ見ることが出来なかったものだと思います。

パソコンやインターネットもやってみるうちに身につけたことの一つです。見よう見まねで使えるようになりました。

まことに、習うより慣れろとはよく言ったものです。何事も臆せずに挑むうちに大切なことを学んだような気がします。

(郡山市立郡山第四中学校教諭)

 

交・剣・知・愛

加藤元康

 

くの先生方のご指導と剣友たちに支えられながら、なんとか継続してきました。

 

私が初めて竹刀を握ったのは、小学四年生のときでした。以来、今日まで多くの先生方のご指導と剣友たちに支えられながら、なんとか継続してきました。

私が教師を志したのも、剣道という伝統文化を、多くの子供たちに伝えたい、一緒に学びたいという希望があったからです。

教師になって四年目、二校目に勤務した小学校には剣友会(スポーツ少年団)があり、私の希望がかなえられることになりました。

当時、約六十名ほどの団員がいましたが、週四〜五回の稽古の他に、夏の土用稽古や冬の寒稽古など、正に子供・保護者・指導者が一体となった活動ができました。

そのときの団員の中には、今でも社会人や学生として、何らかのかたちで剣道に携わっている者が多く、とてもうれしく思うと共に頼もしくも思っています。

その後、更に二校の小学校で勤務した後、現在の中学校に赴任し、今年で三年目になります。

中学校では、教科指導・部活動・進路指導・生徒指導等々、これまで小学校で経験したこととまた違ったことを学ぶ機会を与えていただき、忙しさの中にも充実した日々を過ごしています。

 

 

 


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