教育福島0217号(1999年(H11)02月)-028page

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びを感じさせることができたらいいなあと思います。

同時に、ゲームのように生徒がもともと興味をもっているものを素にして、授業をちょっぴり味付けしていくのも、たまにはいいのではないかと思っています。

「生徒の気持ちを知らなくては」などと言い訳をしながら、私もゲームを楽しんでいます。

(岩代町立小浜中学校教諭)

 

「プライベート・ライアン」考

加藤国彦

 

圧倒されるほかなかった。最前線の恐怖がどんなものであるか思い知らされた。

 

戦争映画「プライベート・ライアン」を見た。スピルバーグ監督の話題の作品だ。冒頭のノルマンディ侵攻における壮絶な戦闘シーンには、ただ圧倒されるほかなかった。最前線の恐怖がどんなものであるか思い知らされた。

この映画のポイントは、一人の命を八人で救うという所であろう。ライアンという名の二等兵が、敵陣深い地帯に迷い込んでいる。ところが彼の兄たちはみな戦死してしまった。そこで軍上層部は、彼を捜して即刻故郷に帰還させよと命ずる。そこで編成されたのが、ミラー大尉以下八人の部隊である。

だが彼らは任務の内容に納得していない。誰かが口にする。「なぜライアン一人を救うために八人の命を危険にさらすのか。やつの命は俺たちより重いのか」

この問いにどう答えたらよいのだろう。映画を見終って、とりあえず英和辞典をひっぱりだした。プライベート Private の意味が気になっていたからだ。驚いた。「最下級の兵士、二等兵」と出ている。それまでPrivateといえば「私的な」という形容詞しか知らなかった。それが名詞になると「二等兵」である。

しかしこれで疑問が解けたような気がした。つまりライアンは、「二等兵」と「私的性」との二つの位置に立っているわけだ。戦場のライアンはあくまで「二等兵ライアンで」あって、そこでは戦争遂行という。Publicな機能を果たす一兵員でしかない。ライアンは、ただの交換可能な無名の要員だ。捜索隊が納得いかないのも、そういう誰でもよい「数」を救い出さねばならないからである。

ところがライアンは、すでに誰でもよい戦力ではなく、母のもとに帰還すべき固有の存在となった。つまり「二等兵」から「私的性」に変容していたのである。ライアンは、他ならぬライアンでなければならず、誰とも交換できない絶対の存在なのである。ライアンという顔と名前をもったかけがえのない崇高な存在へ。それがもう一つのプライベートなのである。それは、私的=Privateなライアンが公的=Publicな戦争を超えた瞬間といってもよい。

さて、学校現場で生徒と日々向き合う私たちにとって、このことは極めて大事な視点を提供しているのではないかと考える。

(県立郡山商業高等学校教諭)

 

生きものからのおくりもの

永山郁子

 

「ガサガサ、ゴツゴツ……」

 

「ガサガサ、ゴツゴツ……」

新聞紙のじゅうたんの上で一時も休まず体を動かしているハムスター。ひまわりの種を両手に持ち、「カリッ、カリッ」と割りながら中身を食べるそのしぐさに、言葉なく顔を見合わせた子供との共感の一時。言葉にしたら、たぶん「かわいいね」そんなことだったように思います。

「こんなちっちゃな籠じゃかわいそう。お部屋を散歩させてあげよう」

と、籠から出したある日のことです。うれしくて一緒に走り回っているうちに、ちょっとした不注意でハムスターを死なせることに

 

 

 


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