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いに感謝するばかりであった。
待ちに待ったその日、酒を酌み交わし、互いの近況を報告し合っているうちに、私は懐かしさと同時に大きなとまどいを感じることになった。彼らの顔に当時の腕白小僧の面影は残っていたものの、私の知っている彼らとは全く違う、自分にとって手の届かない存在となってしまっていることに気がついたのである。
二十代の頃の青年団や消防団での苦労話。あるいはそれぞれの家庭の話。そして今、それぞれが地域の要職を務めていることなど、彼らは私の空白の時間の出来事を時代をさかのぼりながら、酔いにまかせ冗舌に語ってくれた。時には苦渋に満ちた表情をしながらも誇らしげに語る彼らの姿が、私にはやけに大きく見えて仕方がなかった。私が故郷を離れ、自分だけの暮らしを見つめていた間に、彼らは家庭を守る一方で、故郷を守り発展させるためにも力を尽くしてきたのだ。そんな彼らの話に、知らず知らずのうちに頭が下がっていった。今まで故郷に対して、何の貢献もしてこなかったことを恥じている私の心を察してくれたかのように、宴も終わりに近づいた頃、そのうちの一人がこう励ましてくれた。
「今度はおまえもおれたちと一緒に地域を動かしていくんだぞ。しっかり頼むぞ」と。
情熱を傾けられる仕事がある。心安らぐ家庭がある。そして自分をいつでも優しく包んでくれる大切な故郷がある。
すばらしき故郷。ありがたき友。
(北会津村立北会津中学校教諭)
地域に根ざした教育
根本和次
ここ塙町は、古くは金が採掘された天領の地であり、代官町などの地名が残っている。福島県の最南端に位置し、茨城県とは間近に接している。特産品はかつてはコンニャクであり、高値で取引がされ、蒟蒻御殿と呼ばれる家並みも随所に見ることができる。春は山菜、夏には久慈川に鮎の銀鱗が躍り、秋にはキノコの王様松茸も顔をだし、我々に恵みと活力の原動力を与えてくれる。
このような自然に恵まれたこの地に、五十年の歴史を刻む塙工業高等学校が「光が丘」にそびえ立っている。幾多の変遷を乗り越えながら水郡線沿線唯一の工業高校としての充実・発展が期待されている。昨年度は、厳しい就職戦線のなか、二月上旬には就職希望者全員が内定となり、企業や町をあげての支援に感謝している。この地域には、日刊工業新聞社発行の「株価一〇〇ドル企業」にも紹介されている世界のトップメーカー、京セラ、SMCなどの優良企業が、優秀な物づくりの人材を求めて進出している。この地が選ばれたのも、本校の存在があればこそではなかろうか。このように、企業にも恵まれた環境に位置していることを忘れてはならない。改めてこの地域の良さを噛み締めてみたいものである。
また、昨今では偏差値重視と言われるなかで、大学の入試改革も進んでおり、理工系の国立大学で工業高校からの推薦入学の幅が広くなってきている。本校においても、昨年度には三名の国立大学合格者を出すことができた。とはいえ、ここまで到達するのは簡単な道のりではなかった。生徒の進路希望を実現させるべく、多くの先生方が連携を図り、特に小論文指導においては、進路指導部を中心に添削の指導を日常的に行った。生徒たちは熱心に取り組み、日増しに国語力を身につけていった。振り返って見ると、最終的には国語力が要求されるのである。文章を読み、それをどう理解し、どのように解釈し、それを応用できる力を養わせることである。
このように人材を掘り起こし、地元に貢献できる人材を育成することが我々の使命であると思う。そして、地域からもさらに愛される学校になっていくように努力していきたい。
(県立塙工業高等学校教諭)
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