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わが師の恩
関信子
小学校から大学まで、いろいろな恩師との出合いの中で、最も印象に残っている先生がいる。それは、中学時代の担任の先生である。
先生は、髪を真中から分け、メガネをかけ、いつも背広姿で、毅然としており、ステッキを持ったらまさに英国紳士のようであった。しかし、授業はいつも笑いの渦。先生のペースにはまり、どんどん引き込まれていく。勉強嫌いの私でさえ、夢中になって授業を受けてしまうほどすごい先生であった。
今年の一月半ばに、先生から『鈍足のたわ言』という随想集が送られてきた。尊敬していた先生の本を手にし、感銘を受けながら読み入っていた。しかし、まだ読み終えていないその三日後に、突然の計報に接した。
肝臓ガンとの闘病生活の中で、最後の生きる力をふり絞り書かれたであろう二百六ページにわたる随想の一編一編から、先生の人柄が偲ばれ、涙が止まらなかった。
先生が最後に教壇に立たれた同じ川俣中学校に、現在私も勤めている。先生が通った同じ廊下を歩き、同じ教壇に立ち、改めて先生の偉大さを痛感している。
自己中心で生意気であった私の中学時代。一度、先生から厳しくご指導を受けたことがあった。それは、文化祭の準備の時である。学級の仕事もせずに、ポスターや看板制作の仕事を手伝っていた。すると、「おまえのやるべき仕事はこれか。学級の仕事はどうした。責任を果たせ」と一喝。その時の私は、徹底して反発した。扱いにくい生徒であったであろう。その後、「将来どんな職業に就いても、自分の立場や置かれた地位を考え、与えられた仕事を地道にこなしてこそ、一人前なんだ」という内容の話をされた。今思えば、それが先生の生き方でもあった。
あれから三十二年も過ぎた今でも、先生の言葉が鮮明によみがえってくる。中学生という多感な時期であるがゆえに、教師の一言がいかに大切なものか、師から教えられた思いがする。
四月、春うららかな日、窓ごしに先生が立っておられるように思い、ふと外に目をやる自分に、にが笑い。「仰げば尊しわが師の恩」を深く感じられる年齢になった自分に、「しっかりやれよ」と拍車をかける。
(川俣町立川俣中学校教諭)
お父さん、先生みたい
伊藤俊一
久しぶりに家で過ごしている春休みのある日のこと、息子たちが家庭学習で学年のしあげをやっていました。始めはよくやっているなと思いながら、あまり気にしないで新聞を読んでいたのです。そのうちに息子に「お父さん、ここわからないんだけれど」と言われて教え始めました。
私は一生懸命説明しているつもりなのですが、息子はどうもチンプンカンプンのようで、「どうしてこうなるの?」と言うのです。どう説明したら理解するのか考えていました。しばらくして別な方法を思いつき、「こうしたら、わかるんじゃないかな」と言い始めると、それを見ていた娘に「お父さん、先生みたい」と言われました。「だってお父さんは、先生だよ」と答えながら、家では父親なんだよなと思ってしまいました。
そのときは、そんなに気にしないで、息子の分からないところを説明し始めたのですが、それでも分かってくれなくて、だんだんいらいらしてきて、しまいに私は、「学校でどう習ってきたの?」と
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