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心に残る一冊の本
五体満足…
県立福島商業高等学校教諭
安部幸也
この世に天命を授かり、人として喜怒哀楽を感じ、それを言葉や体で表現し成長していく。これがごく当たり前のこととして思われやすい。この本は障害者として生まれた著者が、障害者としての壁を取り除こうとする努力や考え方を、様々な問題にぶつかりながら五体満足な人に問いかけた本である。
子が産まれるとき、「五体満足であれば」とよく耳にする。子が産まれてくるとき、障害者と知ってしまったならば、親はもとより子にとっても待ち受けているかもしれない苦しみや悲しみに心を重くしてしまうかもしれない。しかしこの著者の家族、そして本人の考え方がまったく違っていることに気づき、何でこんなにも明るく、そして楽しく生活しているのだろうと不思議でたまらなかった。予想のしなかった言動に本当に驚きを感じる。
今から八年前、養護学校の生徒たちと体験学習をとおしてふれあう機会に出会った。今まで感じ得なかったことが目の前を横切る。引率の女性教師が手となり足となり、時には厳しい口調で母親のように世話をしている。「こんな子供たちもいるのか」、知っていたつもりでも現実にふれあうと一歩下がって見つめている自分にすごいショックを受け、ただただ女性教師に頭が下がるばかりの思い出がある。障害者の存在を認識しつつも、あらためてこの本からもっともっとがんばらなくてはならないと感じた。
世の中にはこうしたわからないことがまだまだたくさんある。そしてこの本の最後に著者が付け加えた言葉に、この本を読んでたどり着いた意味があります。
「障害は不便である。しかし不幸ではない。」 ヘレン・ケラー
本の名称:五体不満足
著者名:乙武洋匡
発行所:講談社
発行年:1998年10月20日
本コード:ISBN4-06-209154-2
追憶の淵に沈んで
県立磐城女子高等学校教諭
神保徳恵
人は宿命として与えられた「さらぬ別れ」、愛する者との死別とどのように向き合うのか。1それが、讃岐典侍日記をひもとく読者に突きつけられる問いである。
この日記の作者藤原長子は堀河天皇の典侍であり、また寵妾として仕え、発病から崩御にいたるまでの天皇の様子を克明に書き綴った。崩御の折、老いた乳母たちの慟哭と狂乱を目のあたりにして長子はつぶやく。なぜ自分はあの人たちのように泣き叫ぶことができないのか、と。自らの幸福のよりどころであり、生命そのものでさえあった人が逝ってしまったという喪失感と虚無感は、彼女の魂を石のように凍りつかせてしまったのだ。私には、長子が「『死』を正視し、それをのりこえることによって永久の『生』をうちたてる」(解説・森本元子)ことができたとは思えない。長子が帝の死後十年にわたってゆっくりと狂っていったこと、帝の御霊がのりうつったと思い込んであらぬことを口走り参内を禁じられたという事実は、長子が遂に帝の死を乗り越えられなかったことを示すものではないか。それが、自己自身を粗手の中に投げ入れ、無私になる生で愛に徹したひとりの女性がゆきつくしかない悲劇だったのだ.愛する人を失うことによって彼女は自らをも失わざるを得なかった。それこそが、愛の本質を彼女が全身で生きぬいたということの証なのである。現実の世界の何処にも、彼女の魂の憩うことはなかった。追憶の淵で、かえらぬ日々を夢みることが、彼女に残された生き方だった。
しかし、自己のすべてを愛に捧げたがゆえに絶望の底で朽ち果てていった彼女は、実は真宝の救いに最も近づいた人ではかかったか。長子が息をひきとるとき、その閉じられた眼に現世を超えた高みから一条のきよ久かな光がそそがれたことを私は切にねがう。
本の名称:讃岐典侍日記
著者名:訳者・解説者 森本元子
発行所:講談社社
発行年:1993年12月20日
本コード:ISBN4-06-158193-7
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