教育福島0219号(1999年(H11)6月号)-025/52page

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ばかりである。天狗の面を通して彼らの青い瞳に日本はどのように映っているのだろう。異国の地で異国の文化に触れ、そしてどっぶりと浸った二人。感慨深い何かを感じる。

(小野町立小野新町小学校教諭)




絵本から始まること

萩 原 高 明

萩原高明


私は現在、図書部に所属する国語教師であり、家庭では五歳と一歳の子供の父親である。

その私が今一番興味を持っているのが、絵本についてだ。

現代の若者は、あまり本を読まない。そして、人の話を聴けない、対人関係がうまく築けない、価値観が表層的だ、と言われる。

なぜだろう?

親の多忙さゆえに子育てをテレビに委ねている家庭は、現代の日本では少なくないだろう。

そのようにして育つ子供たちは、受け止めきれない膨大な情報を常に一方通行で送られ続けている。

その結果、情報は相互の関係のうえに伝えられるものではなく、相手に一方的に送るだけのものとなっている。また、情報量が大きすぎる時、人は自分が必要とする情報以外のものを無意識のうちに削除する力が肥大していく。さらに、圧倒的な情報速度は言葉による思考を許さず、全てを記号として感覚的にとらえることを要求しているのだ。

私たちは体温のつたわる相互伝達としてのコミュニケーションとじっくりと思考するための言葉を取り戻さなければならない。

そのために、絵本はきわめて有効な武器となり得る。

相手の存在を実感し、反応を確かめながら(立ち止まったり、戻ったり、調子を変えたり)、頭と心に言葉と絵が紡ぎだす世界が染み込んでいく時間を共有する。

これは子供にとって大好きな行為らしい。二人のわが子も、大多数の子供たちにとっても。 

幼児は自分で本を読めない。その能力がない。だから、大人に絵本を読んでもらう。そうして、言葉と絵が自分の頭と心の中に、ある世界・ある考え・ある思いを生み出すという大切な力を獲得する。

その力は、やがて、絵の力を借りずとも言葉だけで他者の考えや思いを理解する力となる。自分自身との対話を可能にする力となる。

本を読まない生徒に、本を押しつけること。話を聴かない生徒に、静かにしろと怒鳴ること。それは、大人が子供に対しての責任を果たさずに、大人の都合を押しつけている身勝手な行為なのだ。

「絵本を読む」ことから始めよう。

そして、その後で言葉を添えよう。「絵本を読むのが好きなら、いっか君たちの子供にも読んであげてください」と。

(県立相馬農業高等学校教諭)




よく遊び、よく学べ

白 川 勇 功

白川勇功

 

私は、教職に就いて今年で二十三年目になる。四月初めに、生徒に自己紹介する時にはいつも、「よく遊び、よく学べ」という言葉を述べる。

小さいころ、私が一番生き生きとしていたのは、魚釣りや山登りなど大好きな時間を過ごしていた時である。

幼稚園のころから、雑魚やどじょうをとったり鮒釣りをしたりして遊んでばかりいた。一生懸命遊んでいる時は、他のことを一切考えずに一つのことに集中していたものだ。何とか大きな魚を釣りたいと思い、川の流れのどの辺りに魚がいるのか、どんなふう


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