教育福島0219号(1999年(H11)6月号)-028/52page

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であろう。

私は、生徒の変容のみでなく、学校が変わる場に立ち会えたことに感謝をしたい。矢吹高校から光南高校への変化の過程は、非常にドラスティックであった。

学校を変えようという意思を持った若い先生たちと共に取り組んだ時間には、実に感慨深いものがある。貴重な体験をさせてもらった。しかし、それ以上に私は、矢吹高校時代に赴任できたことに感謝をしている。この高校に赴任することがなかったら、私は教育を何も知らずに教員生活を過ごしてしまったと思う。

この経験が、光南高校誕生のエネルギーとなっていったのだと今思う。胸を張って母校の名をいえる学校に変えようという教職員と生徒全員の意思の発露が、そしてその成果が光南高校である。光南高校は矢吹高校でつくられた。校内で光南高校が一度たりとも破られたことはなかった。矢吹高校と光南高校で教えられたことはあまりにも多い。

今年はどんな変化の場面に、何人の変化に会えることができるのか楽しみである。

(県立光南高等学校教諭)




渓流釣り

塩 生 敬 久

塩生敬久

今年も四月になった。渓流釣りの解禁である。三月中にこの日のためにわくわくしながら準備をしてきた。今年は残雪が多く、車で入ることができない場所も多かった。そこで釣り初めは、只見ダムにした。前日の夜十一時頃から場所を取り、朝を待った。夜が明けると、霧が多く、寒かったが、なんとか一匹を釣ることができた。今年もまた楽しめそうだ。

自宅が川の近くだったこともあり、小・中学生の頃から少しはやっていたが、それは遊びの一つにすぎなかった。はまってしまったのは、教員になって二年目の時、暇つぶしで釣りをし、たまたま岩魚の大物を釣り上げてしまったのである。それ以来、月に一度は釣りをして、釣れなくてもなぜかまた行ってしまう。

たまたま釣れない日が続き、「どうしてまた行くのだろう」と考えてみたことがある。もちろん、悔しいからまた行くというのもあるが、それ以上の魅力があることに気が付いた。それは、自然とか人と触れ合えることである。冒頭にも書いたように季節の移り変わりを肌で感じることができる。また、何回も通っているうちに顔見知りになり、「最近どうだ」と話をするようになった人はだくさんいる。初めて会った人でも釣り方を教わったり、ご飯をいただいたりしたこともあった。教員になって五年が過ぎたが、学校を離れて様々な職業の人とふれ合うことは少ないような気がする。そういった意味では、自分にとって貴重な機会だと思っている。そして、なにもかも忘れて集中できることである。一日、川にいると体力的にはとても疲れるが、とてもよい気分転換になる。

こう考えてみると私は魚を釣るのが趣味なのではなく「釣りに行くこと」が趣味なのではないかと思うようになってきた。

強引な考えだが、授業と釣りは似ていると感じることもある。授業では、自分の思ったとおりになることは少ない。だから創意工夫をするのだが、その結果子供たちの反応がよい時はとてもうれしくなり、次への励みとなる。

さて、これから、子供たちと魚の反応を楽しみにしながら、明日の授業と週末の釣りの準備をしよう。

(只見町立朝日小学校教諭)



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